安倍総理が再登板したのは拉致被害者救援のため!
北朝鮮による拉致被害者の奪還には最善を尽くしてください!
なでしこりんです。 横田さんご夫妻がモンゴルで、めぐみさんのお嬢さんであるヘギョンさんと面会されたことが大きなニュースになっています。 飯島勲内閣官房参与などは、「外交カードとしては失敗の策かもしれない」という感想を述べたそうです。 私は「飯島さんらしからぬ発言」と感じていますが、人それぞれの考えがあると思いますので、今回は批判はしません。私は、横田さんご夫妻にとっても「今回の面会」にはさぞや大きな葛藤があったと思います。
話が飛びますが、高校生の頃に「漢文」でこういう故事を学びました。
中国の春秋時代に晋の主君が重い病気にかかり、姻戚関係であった秦の国王に使者を遣わして医者を求めた。秦の国王は侍医の緩(かん)と言う名医を晋に送ることにした。これを聞いた晋の王は大いに喜んで名医の到着を待ちわびていたが、ある夜、夢の中で自分の体内にいる二匹の小鬼が相談をしている話を耳にした。
「緩という名医がはるばる秦から来るそうではないか。これはなんとか肓へ潜り込んでじっとしていよう。あそこは針も及ばず、薬も届かない安全なところだ。さあいこう。」と、二匹の小鬼が走り出したところで晋の王は目が覚めた。
ほどなくして緩が到着し、晋の王を診察したが、しばらくして首を横に振り「残念ですが、もはや手遅れです。病根が既に膏の下と肓の上に巣くってしまい治療できません。」と答えた。近臣達は失望落胆して涙に暮れたが晋の王だけは緩の診察結果に感心し、「これは真の名医である」と言って、厚く礼をした。それから十日ほどして晋の王は亡くなった。(春秋左氏伝)
「病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)」とは「病気が重くなって、治る見込みが無くなること」、もしくは「病膏肓に入るを知る」と書いて、「みずからの死期を悟る」ということを意味する故事成語ですよね。 おかしな話ですが、私も大きな病気をして、「これ治らない病気ですから」とお医者様に言われた時は、目の前が真っ暗になったことがあります。私の場合、「余命いくら」ではないのですが、漠然と「病膏肓に入るを知る」という気持ちになったこともあります。横田さんご夫妻はすでに滋さんが81歳、早紀江さんんも78歳と伺いましたから、「生きているうちに一目でも会いたい」という思いはさぞや強かったことでしょう。 私は、横田さんご夫妻がヘギョンさんやひ孫さんに会えてよかったと思っています。
横田さんご夫妻への非難をおこなった恥知らずな人間というと、この話がすぐに思い出されます。
「北朝鮮核問題や拉致問題を取り上げて北朝鮮を批判する日本の世論を変えねばならない。在日同胞たちが過去に日本に連れて来られたことに対しては何も言わず、冷戦時代の拉致ばかり話すというのは矛盾したことだ。私は横に横田夫妻がいても、これを言うことができる」 (2006年(平成18年)11月25日の世界海外韓人貿易協会での講演)
この発言をした人物の名前、わかりましたか? 「在日同胞」という言葉が使われているのがヒントになります。 そう、この発言をしたのは「姜尚中(カン・サンジュン)」という人物で、現在は、私立大学である「聖学院大学」の学長をしています。テレビ朝日の「ニュースステーション」でボソボソしゃべっている在日韓国人です。この姜尚中の発言は韓国国内でおこなわれたものです。彼は「在日同胞たちが過去に日本に連れて来られたこと」などということを平気でしゃべっていますが、姜尚中の父親は戦前から「自分の意志で」日本に入国しており、「永野」という通名を使って日本で暮らしていました。もちろん「強制連行」されたわけではありません。
姜尚中といえば、この「逸話」に触れないわけにはいけませんね。ww
姜尚中は通名を永野鉄男というが、早大大学院22歳の時の訪韓を機に通名(日本人名)を捨てたという。そして28歳から3年間、西ドイツに留学してユダヤ民族の学生と親友になり、虐げられる少数民族について語りあったという。 そして押しも押されぬ有名知識人となった姜とドイツの旧友の面会をNHKが企画した。 顔を合わせたドイツの友人はこう叫んだ。「 テ ツ オ~ 久しぶり!」
姜尚中は1950年生まれですから、28歳といえば1978年。この当時の「南朝鮮」のイメージは「どこぞの紛争国」ぐらいでしかなかったわけですから、姜尚中青年が、つい「出来心」で、「僕は永野鉄男です。日本から来ました」と名乗ったとしても、「アイアムザパニーズ」の民族ですから、さもありなんで笑ってすませられます。しかしながら、日本人を騙って、日本人に成りすましていたその心根の卑しさは、東大教授になっても変わりはしませんでした。こんなんが日本の国立大学の教授をしていたんです。完全に「寄生」ですね。
2012年の11月28日、安倍総裁(当時)は「日本を取り戻す」を旗印に総選挙を戦っている最中、私は安倍総裁による街頭演説を聞いていました。その日、私はブログにこう記しました。
安倍さんの話を聞いていて、一つ気づいたことがあります。それは、北朝鮮拉致被害者の蓮池さん夫妻と地村さん夫妻が10年前に帰国した日のこと、横田夫妻は気丈に振舞っておられたけど、やはりその目に涙があったことを、安倍さんは「一日も忘れたことはない」と。 「ああ、安倍さんが、自民党総裁選に立候補し、マスゴミにバッシングされるのを覚悟して、総理大臣に戻ろうとしているのは、あの涙に応えるためだったんだな」 横田夫妻を始め、北朝鮮に不当に拉致されている人々と、その家族は、どれほど無念でありましょう。 安倍さんは、10年前の横田さんの涙に応えられるのは「首相再登板しかない」と考えたのでしょうね。(2012-11-28)
安倍総理と安倍内閣の大臣方。 北朝鮮による拉致問題を解決できるベストメンバーはこの人たちを除いてはありえない。私はその時もそう思ったし、今でもそう思っています。 By なでしこりん