あなたは人生の勝ち組ですか?それとも負け組みですか?
競馬のレースで、いったん競争を止めた馬が勝つことってあるのかな?
なでしこりんです。今日、宝塚音楽学校では102期生の合格発表があったそうです。実は私の元にも、お年賀や書中お見舞いを届けてくれる「タカラジェンヌ」さんがいます。何回か公演を見に行き、ファンレターを一度書いたぐらいでも、季節のご挨拶を届けてくださるその律儀さにいつも感心しています。今日の合格発表では、君島明・十和子ご夫妻の長女である君島憂樹さん(16)も合格されたんだとか。東京・有楽町にある東京宝塚劇場では何回か、十和子さんとお子様の姿を見たことがありましたから、おそらく「宝塚音楽学校への入学は親子そろっての悲願」だったのでしょう。本当によかったと思います。憂樹さん、おめでとう! よくがんばったね。
宝塚歌劇は、96期生の時に「いじめ問題」があり、生徒の問題ではなく、宝塚音楽学校と歌劇団の「対応の不誠実さ」に失望して、宝塚ファンをやめた人もいます。芸能界全体もそうなんでしょうが、宝塚歌劇団には、一般常識とはかけ離れた人たちが「劇団内部」にもいるんですね。「閉鎖社会」といいますか「村社会」的な「よそ者からの批判には耳をかさない」人たちが、結局は問題を悪化させてしまい、96期の中でも一番の出世頭だったYさんも先月2月9日に宝塚を退団してしまいました。宝塚は一度退団してしまうともう二度とは復帰できない仕組みになっています。
私は、応援しているジェンヌさんが東京に来られる時には、銀座の三越でお菓子を買って差し入れしてします。銀座には百貨店以外にも高級ブティックや老舗の名店が今でもたくさんあります。面白いことに、中央競馬会(JRA)の「馬券売り場」も銀座にあるんですよ。私は馬券は買いませんが、「ある騎手」を応援しているんです。誰だかわかりますか?
その人の名前は「柴田大知」騎手。武豊騎手や福永祐一騎手ほど有名ではないと思いますが、私は柴田大知騎手の経歴を知ってから、この人を応援せずにはおられないようになりました。以下、ウィキペディアの記事です。
柴田大知騎手は1996年、双子の柴田未崎と揃って騎手デビューを果たす。2年目の1997年6月29日、ラジオたんぱ賞をエアガッツで制して重賞初勝利。しかしこの重賞勝利の直後に、当時の師匠である栗田の反対を押し切って競馬新聞記者との結婚を強行し、これが原因で栗田厩舎から解雇処分(破門)されてしまいフリーの騎手となった。
柴田大知騎手の騎乗数
1996 350
1997 336
1998 315
1999 253
2000 293
2001 291
2002 239
2003 197
2004 135
2005 98
2006 13
2007 12
中央競馬会に所属する騎手は、収入面では地方競馬の騎手よりは破格に恵まれているといいますが、それでも、2007年の柴田大知騎手の平地の騎乗数はわずか12鞍。障害レースの騎乗を加えても54鞍しかありませんJRAの年間開催レース数は約3400レースといいますから、もう完全に騎手としては「終わった人」だったと思うんです。もちろん競馬会には騎手以外の仕事もあるのでしょうが、柴田大知騎手は騎手を辞めませんでした。
2008 22
2009 71
2010 185
2011 453
2012 715
2013 854
柴田大知騎手の騎手としての活動が下り坂になった原因が「単に騎乗技術がなかった」のか、それとも「調教師に歯向かって競馬界から干された」のかはわかりませんが、「捨てる神あれば拾う神あり」で、今では「マイネル軍団といえば柴田大知」と言われるほど、数多くの騎乗を任されています。勝負事には勝者があれば敗者が必ずあるものですが、私はこの人の名前を聞くたびに、「負け人生でも逆転できる」といつも思います。 え? なでしこりんは負け人生かって? 私は「プラマイゼロ」ということで!ww By なでしこりん
2番(黒い帽子)のお馬さんに注目!(柴田大知騎手とは関係ありません)