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Channel: なでしこりん
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拡散希望、「日韓併合の時代を生きた朝鮮人の証言」、私たち日本人が朝鮮半島でしていたこと

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あなたは、日本の「日韓併合の歴史」に不安を持っていませんか?
あなたは、戦前の日本人が悪人だったと思ったことはありませんか?
あなたは・・・・・・私たち日本の先人たちの行動を信じていましたか?


  こんばんわ、なでしこりんです。 先ほどのブログにも書きましたが、現在、韓国国内で実施されている「反日教育」は絶大な効果をあげているようですね。 実は、日本においても、「民団」という韓国政府直属の謀略機関が、在日韓国人向けに「民族教育」と称した「反日教育」をやっていますし、北朝鮮を支持している連中は「朝鮮学校」で「反日教育」を」やっています。「教育の力」は偉大でありますが、その効果は、また「恐ろしい」ものですね。


 私はいつも、戦前の「日本統治を経験した」朝鮮人(韓国人)は、今、どう思っているのかが気になっていました。そうしたら偶然発見できました。「引用」や「リンク」への注意がないので、そのまま「引用」させてもらおうと思います。それぐらいこの「資料」は貴重ですね。どうか皆様も、できるだけ多くの皆様の力で「拡散=教育」してください。私たち個人は非力ですが、多くの力が結集できれば、「国家的な反日教育」を圧倒できる日が来るかもしれませんから。 By  なでしこりん


 日韓併合時代の真実
 「かつて日本と朝鮮が手を取り合って、仲良く生きていた時代があった」

 http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi02.htm


   
   「日韓併合」の時代、日本人と朝鮮人の間には
     日常的に対等な交流が頻繁にあった。


 「日本統治時代を経験した朝鮮人の方たちの証言」   

 生まれも育ちも朝鮮の新義州(今日の北朝鮮北部)という林健一さんは、こう語っています。

 「日本人による朝鮮人差別ということは、まったくありませんでした。学校で生徒同士は完全に対等で、上級生の朝鮮人が下級生の日本人を呼び寄せて、『お前は服装がなっていない』とか説教することなんかがたびたびありましたね。朝鮮を出て、日本の内地に行きたいとも思いませんでした。朝鮮の人々はよかったですし、私も居心地がよかったですから。骨をどこに埋めるかと聞かれれば、『朝鮮』と答えたものです」


 日本による朝鮮統治時代を体験した韓国人の朴承復さんも、こう語っています。

  「学校では日本人生徒たちからも先生からも、差別されたことはありませんでした。今でも日本人の同期生たちと会うと、彼らは韓国語で話したがります。今なおそれほど親しくつき合っている日本人の同期生が何人もいます。商業学校の恩師二人は、とても尊敬できる方でした。一人は松尾先生で、国語の先生でした。この先生は韓国人、日本人にかかわりなく尊敬されていました。もう一人は横尾先生です。この先生は日本人生徒たちからは嫌われていました。めちゃめちゃに厳しくて、過ちを犯せば決して許さない方でした。しかし、私はなぜか特別に可愛がってもらいました。いろいろな相談にものっていただいた大恩師です。卒業後、朝鮮殖産銀行に務めましたが、差別的な扱いを受けたことは全くありません。行員家族全員で地方の温泉地へ一泊旅行に行ったりもしました。日本人も韓国人も区別なく、みんな仲良く楽しく遊んで過ごしました。日帝時代にそんなことあり得ないと言われるかもしれませんが、過激な人や極端な人たちの一部での喧嘩や衝突はあっても、一般の日本人と韓国人のぶつかり合いなんか、見たこともありません。多くの日本人は、朝鮮人から家をちゃんと借りて住んでいました。日本人が勝手に韓国人の家を奪い取るなど、そんなことはなかったです。当時の日本人は本当に質素でした。私自身は当時の日本人に対して悪い印象は全く持っていませんでした」


  
   日本が目指したのは、朝鮮半島にはびこっていた
  「貧困」の撲滅と、子供たちへの「教育の普及」だった。


    ソウルの京城帝国大学で学んだ韓国人の閔圭植さんは、こう語っています。

   「私は個人的には日本人と仲がよくて、悪い感情はありませんでした。日本人が韓国人に恐怖を与えたとか、韓国人が日本人に殴られたとか、何か嫌がらせをやられたとかいったことは、個人的には見たことも聞いたこともありません。日本人が韓国人の家を奪って勝手に使うとか、土地や財産を搾取するとかいうことも、まったくありませんでした。神社参拝については、何かの日には学生全部が連れて行かれました。行かなくても別に厳しい文句は言われませんでした」


  映画監督・金洙容さんも、こう語っています。

     「農場の日本人たちはとても勤勉でした。日本人は早くから科学的で先進的な農法を使っていました。日本人の経営する農場には、韓国人たちもたくさん働いていました。日本人は日当をきちんと計算して渡してくれました。彼らはとても礼儀正しく、日当を支払わないようなことはまずしません」


       新義州の中学や高校に通っていた李萬甲さんは、こう語っています。

   「朝鮮人は私一人でしたが、日本人の同級生みんなに親切にしてもらいました。日本人の先生には立派な方がいらっしゃいました。 創氏改名は昭和一五年からのことでした。ほとんどの人が変えていましたね。しかし、官庁に務める人でも、変えないからといって首になるようなことはありませんでした。 日本人が韓国人の生活を侵害するとか、略奪するとか、そんな類のことは日本人は全くしませんでした。日本人は法に反することをしないようにと、非常に気をつけていました」

   
  歴史の全てを美化する必要はありません。 でも、私たちはには日本の名誉を守る義務があるのです。
                                                                  なでしこりん


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