日本に濡れ衣を着せてきたアメリカと韓国が訴えられる!ww
日本軍慰安婦の正体は「アメリカ軍の慰安婦=洋公主」でした!
なでしこりんです。「なにげ」なニュースですが、「戦時朝鮮人売春婦問題」に取り組んでこられた皆様にはこのニュースの「破壊力の大きさ」は十分ご理解いただけると思います。この記事については今後も追いかけたいと思います。記事は「TBS」ですね!
共産主義者の疑いでアメリカ軍に逮捕された朝鮮人女性たち
朝鮮戦争後の韓国で政府の管理の下、駐留するアメリカ兵士の相手をさせられ、「米軍の慰安婦だった」と主張する女性たちがソウルで記者会見を行い、韓国政府に謝罪と賠償を求め集団訴訟を起こしました。
訴えを起こしたのは、いわゆる「基地の村」でアメリカ人兵士の相手をさせられた「米軍慰安婦だった」と 主張する韓国人の女性122人です。「基地の村」とは、朝鮮戦争後、韓国に駐留したアメリカ軍の付近にできた集落とされ、女性たちは声明書で「国家が旧日本軍の慰安婦制度をまねて『米軍慰安婦制度』を作り、徹底的に管理してきた」と指摘しました。
その上で、当時、政府が米軍周辺などの特定地域を売春防止の除外対象としたなどとして、謝罪と賠償を求める訴えをソウル中央地裁に起こしました。韓国では、過去にもこの問題が取り上げられたことがありますが、支援団体によると、こうした女性たちが訴訟に踏み切るのは初めてです。(25日TBS)http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2234101.html
いよいよアメリカ軍と韓国軍の悪事が露見しますよ! 「日本軍慰安婦問題」の本質は、「米軍の慰安婦=洋公主」と、韓国政府と韓国軍による「慰安婦狩りと強制管理」ですからね。日本軍の慰安婦とされている女性のほとんどは、「米軍の慰安婦」でした。さあ、アメリカ政府の今後の対応が見ものです。アメリカ軍は韓国軍と一緒になって、朝鮮戦争では「男は皆殺し、女は強姦して売春婦」という悪事をやっています。これはまさに「ヒトラー顔負けの大虐殺」ですからね。 今、巨大なブーメランが始動し始めましたよ!ww By なでしこりん
韓国主要紙で ある東亜日報記事データベースに、「慰安婦」で検索してみた結果資料
年度 日本軍慰安婦関連記事数 米軍・国連軍慰安婦関係記事数
1951-55 1件 17件 (朝鮮戦争)
1956-60 0件 36件
1961-65 0件 56件 (日韓条約賠償交渉/反日デモ多発)
1966-70 1件 118件
1971-75 5件 39件 (千田夏光が「従軍慰安婦」造語)
1976-80 0件 20件
1981-85 4件 9件 (83年吉田清治捏造本出版)
1986-90 5件 8件 (89年吉田捏造本韓国語で出版)
1991-95 616件★ 3件 (91年植村隆・朝日新聞慰安婦捏造記事)
出典「韓国人が書いた、韓国が『反日国家』である本当の理由」 - 崔碩栄著
「米韓共同の大虐殺」もばれちゃうかもね!
済州島四・三事件
1948年4月3日に済州島で起こった島民の蜂起にともない、韓国政府・韓国軍・韓国警察などが引き起こした島民の虐殺事件。島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺され、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。韓国軍は島民の住む村を襲うと、若者達を連れ出して殺害するとともに、少女達を連れ出しては数週間に渡って輪姦、虐待を繰り返し惨殺した。
麗水・順天事件
1948年10月19日、済州島四・三事件鎮圧のため出動命令が下った国防警備隊第14連隊(約2,000名)が反乱を起こした。韓国政府は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日には反乱は鎮圧された。事件後、韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、反乱共謀者として非武装の民間人8000名を殺害した。
聞慶虐殺事件
1949年12月24日に大韓民国慶尚北道聞慶郡(現:聞慶市)で、共産匪賊に協力したなどとして、韓国陸軍第2師団第25連隊の第7中隊第2小隊第3小隊が非武装の女性、子供、老人の88人を射殺した。事件は長らく共産匪賊による仕業とされていたが、2007年6月26日に韓国政府の犯行であったことが明らかにされた。
朝鮮戦争
1950年6月25日 - 1953年7月27日-休戦)は、成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、国境を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争。戦闘に巻き込まれたり虐殺された民間人の死者だけで200万人を超えるという。
保導連盟事件
1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受け、李承晩大統領の命令により、韓国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や民間人など少なくとも20万人以上を大量虐殺した事件。
漢江人道橋爆破事件
1950年6月28日午前2時30分頃、およそ4,000人の避難民が渡っていた漢江人道橋を、避難民もろとも韓国軍が爆破し、約500~800名が死亡した。この橋梁の爆破によって、前線で北朝鮮軍と交戦中であった韓国軍主力の退路が断たれ、背後を遮断されたことを知った各部隊は雪崩を打ったように後退を開始し、戦線は瞬く間に崩壊することとなった。
大田刑務所虐殺事件
朝鮮戦争勃発直後の1950年7月初め、韓国の軍と警察が、大田刑務所の収監者約1800名を銃殺していたことが、このほど資料的に裏付けられた。このことは、2000年1月5日、韓国マスコミが、機密指定解除されたアメリカ国立公文書館の文書から「処刑」が確認されたと報道したことにより明らかになった。
信川虐殺事件
1950年、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)黄海南道信川郡において、国連軍占領下で住民の4分の1にあたる3万5383人が虐殺されたとされる事件。
国民防衛軍事件
中国義勇軍の参戦による戦局の悪化を打開するべく韓国政府は国民防衛軍を組織した。1951年初頭、韓国は北朝鮮・中国両軍の攻勢を受け、前線からの後退を決定し、およそ50万の将兵が大邱や釜山へと撤退することとなった。この撤退の際に、国民防衛軍司令部の幹部達が国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを不正に処分・着服。その結果、極寒の中を徒歩で撤退する将兵達に対する補給物資が不足し、9万名余りの韓国軍兵士が餓死・凍死する「死の行進」となった。
江華良民虐殺事件
1951年1月6日から1月9日にかけて、韓国軍、韓国警察、民兵は北朝鮮統治時代に北朝鮮に協力したなどとして島民212人から1,300人を虐殺した。この事件前の1950年には、保導連盟事件で、すでに140人の島民が虐殺されていた。
山清・咸陽良民虐殺事件
1951年2月8日、韓国陸軍第11師団第9連隊第3大隊は居昌郡に隣接する山清郡今西面、咸陽郡柳林面の一帯にある12の村々の住民705人を集め、パルチザン殲滅と称して殺害した。
居昌良民虐殺事件
1951年2月9日から2月11日にかけ、2月8日に山清・咸陽良民虐殺事件を引き起こした 韓国陸軍第11師団第9連隊第3大隊が共産匪賊のパルチザンを殲滅するためと称し、無実の市民を719名を虐殺した。犠牲者の内訳は、3歳以下100人、4~11歳未満191人、11歳~15歳未満68人、15歳~60歳未満294人、60歳以上66人であった。
韓国軍の悪事の裏には常にアメリカ軍がいます!