日本のリベラリストの正体はただのコリアニストじゃないの?
遅かれ早かれ日本から韓国人を追い払う事件が起こるでしょうね!
なでしこりんです。最近、「リベラル」という言葉をよく耳にします。英語では「liberal」。「自由」という意味を持つ「liberty」の類語ですよね。ですから、本来のリベラルは「自由主義」ですが、「政府に捕らわれない反体制的な」とか「進歩的な」という「政治思考」を表す言葉であり、「私はリベラル。(かっこいいでしょ!)」とという自己満足的な意味合いを持つ言葉でもあります。日本には自称・リベラリストが少なからず存在し、民主党などはその代表格でしょう。でもこの連中の欠点は「反体制は大好きだけで、体制運営はできない」という口だけの人物ばかりなこと。文句は言えても、実際には何もできない子どもと同じです。今日はそんな人物の恥ずかしいお話。 記事は「j-cast news」からです。
長崎県対馬市でまたしても起きた韓国人による仏像窃盗事件に日本中が激怒する中、ニュースキャスターの古舘伊知郎さんは、なぜかカメラに向かって仏の教えを説いた。「仏教ってのはそもそも生きる上で物質世界にとらわれている、その執着をダメだよっていう教えでもあるんですけどね」。 仏像が盗まれたと大騒ぎする日本人をたしなめるような発言に、違和感を覚えた視聴者は少なくないようだ。
「こだわることを忘れなさい」。 2014年11月24日、梅林寺から市の有形文化財指定の仏像を盗んだとして建造物侵入および窃盗の疑いで韓国人の男が対馬南署に逮捕された。また、同寺が保管している大般若経350点を持っていたことから、同署は余罪を追及している。 「日本の仏像を売れば金になる」という趣旨の供述をしたと報じられた。しかも、対馬市では12年にも仏像の窃盗事件があったばかりで、「許しがたい」という声は強まっている。 (以下ソースで) http://www.j-cast.com/2014/11/26221759.html?p=all
リベラリストの特徴が自己陶酔的な「弱者の立場の擁護」なんです。物事には虐げるもの虐げられるものがあり、リベラリストが味方に付いたほうが弱者になります。「日本と韓国」の場合、リベラリストが味方するのはもちろん韓国です。古舘がテレビ朝日という反日メディアの中での立ち位置をリベラルに置くのは仕方ありません。そうでなければ彼はニュースキャスターの職を失い、スポーツアナウンサーに戻らなければなりませんからね。ある意味彼は「リベラルな古舘伊知郎」を演じているのでしょう。
日本での犯罪を正当化できるのが韓国人の特徴
ですから、日本が仏像を盗まれてもリベラルな古舘視点では「韓国側の視点」でしか発言できません。それが「仏教ってのはそもそも生きる上で物質世界にとらわれている、その執着をダメだよっていう教えでもあるんですけどね」という発言に集約されます。「仏像や経典に執着(しゅうじゃく)するなよ、日本人」ということです。 これってズバリ韓国人発想ですよね。
これってどう考えてもおかしいわけです。ならば古舘は、自宅から現金や貴重品が盗まれても同じことが言えるのか? 古舘の自宅が放火され、家族が焼き殺されても、「私は執着しません」と言えるのか?ですよね。古舘にしろ民主党にしろ「まず韓国擁護ありき」があるからこんな「異常な発言」を無頓着にやってしまうわけです。もしかして古舘は「俺って進歩的だろ!」ぐらい思っているかも?ww (韓国を擁護する連中にはお金のためという連中も多いです)
古舘や民主党の最大の間違いは「韓国は弱者」という最初のスタート地点なんです。韓国に理解あるのがリベラルではありません。真に弱者に寄り添うのならば、それこそチベットやウィグルの民に寄り添うべきでしょう。 そもそも「韓国人は非道徳的な犯罪民族」という事実に目を向けるべきでしょう。現に韓国人窃盗団は「日本の仏像は韓国で高く売れる」という金銭に執着した自白をしています。韓国人は「日本からなら盗んでもかまわない」という特異で悪質な犯罪民族なんですね。 そこが大事です。
今回のような韓国人による「日本での略奪行為」が重なるごとに「日本人の堪忍袋の緒」は傷つき、遅かれ早かれ「堪忍袋の緒は切れる」でしょう。それは避けられないことであり、そう遠くないことだと思います。そうなった時、泣きついてきた韓国人には私はこう言うでしょう。「自業自得。韓国人はすぐに日本から立ち去れ!」と。 平家物語の中にある「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色は盛者必衰の理をあらはす。驕 れる者久しからず」の諸行無常は仏典の涅槃経にある言葉です。反日国家・韓国の仏罰はもうすぐそこまで来ています。 By なでしこりん