「稼ぎたいニダ!」 戦前も戦後も朝鮮人が目指したのは日本だった!
韓国朝鮮人による日本への非合法密入国は今も続いています!
なでしこりんです。私の知る範囲では、在日は南朝鮮(韓国)系も北朝鮮系も、日本にいる理由を「強制連行されたニダ!」と叫び、「好きで日本にいるんじゃないニダ」と嘆いて見せて、「ウリたちは日本軍に強制連行された被害者」という芝居を熱心に演じています。というか、その脚本は在日2世3世にとっては「そうでなければならない」存在証明のようなものなんですね。だって「ウリたちの祖父祖母は密入国犯罪者」なんて認めがたいでしょ!今日は韓国の「聨合ニュース」と朝鮮総連の「朝鮮新報」の2つの記事に注目です。
2014年11月3日、韓国・聯合ニュースによると、旧日本軍に強制動員されたとする軍人、軍属の遺族らが、韓国政府を相手に1965年の日韓請求権協定時に日本から受け取った資金を返還するよう求める訴訟を起こすことが分かった。遺族らは、「日本は軍人・軍属への補償金として、3億ドルを無償で韓国政府に渡した。韓国はそれを基に経済を発展させたのだから、被害補償は韓国政府が責任を持つべきだ」と主張。1人1億ウォン(約1050万円)の返還を求めるという。 (レコードチャイナ)http://www.recordchina.co.jp/a96808.html
大阪ではいまでも、在日朝鮮人が多く居住しているところ。植民地統治下の1930年(昭和5年)には在日同胞の約23%にあたる7万人が住んでいた。大阪府が1932年に、大阪市内に一戸を構えている朝鮮人の調査をしたが、「なぜ内地に来たのか」という質問に、「農業不振のため」との答えが、55.7%、「生活難のため」(17.2%)を加えると、7割以上の同胞が、「食えないから」、日本に来たと答えたという。(朝鮮新報) http://chosonsinbo.com/jp/2015/01/sk123-6/
朝鮮人日本兵はエリート!しかし韓国では青春時代を語ることは許されない!
まず最初の韓国の「聨合ニュース」の記事なんですが、これはいかにも韓国のニュースですよね。「補償金獲得のためなら何でもするニダ!」という朝鮮人根性丸出しです! しかも多少なりとも朝鮮の歴史を勉強している人なら、「旧日本軍に強制動員されたとする軍人、軍属」なんていうものが存在しないことはご存知だと思います。日韓併合時の朝鮮半島は「日本」でしたが、実は1944年9月までは「朝鮮人には兵役義務はなかった」んですよ。 じゃ、1944年10月以降はどうかというと、日本は1945年8月に終戦を迎えており、「兵役義務対象者」は訓練だけで実戦には投入されていません。
朝鮮人志願兵推移
年次 志願者 合格者 志願倍率
1939 1万2348 613 20・1倍
1940 8万4443 3060 27・6倍
1941 14万4743 3208 45・1倍
1942 25万4273 4077 62・4倍
1943 30万3394 6300 48・2倍
「ぼくも日本軍の兵士になりたいニダ!」 血書嘆願者は朴正熙君でした!
いわゆる 「朝鮮人日本兵」と言われる人々は「全て志願兵」であり、しかも、志願したら誰でも日本軍の兵士になれるという甘い採用状況はなく、志願者の採用倍率は「20・1倍から62・4倍」ですから、宝塚音楽学校並みの高競争率だったんです。そもそも、志願者が多いわけですから「強制動員」なんてする必要はなかったんですね。韓国人的には「ウリたちは被害者」芝居をしないといけませんから「強制動員」ということにしているんです。「実は志願ニダ」だということがばれると「親日派」になりますからね! 韓国では親日派はタブーです。
1948年から始まった「韓国大虐殺&朝鮮戦争」による難民はみな日本に逃げた!
北朝鮮系の朝鮮総連の機関紙である「朝鮮新報」は、戦前の朝鮮人の来日理由を記事にしてしていますが、図らずも「経済理由の日本入国」を明らかにしています。しかもこの記事も肝心な部分をごまかしています。だいたい、戦前の日本は、朝鮮人の日本入国を制限していましたから、合法的な日本留学や商用を除けば、後は全部、非合法な密入国者だけなんです。当時は「密航」と呼んでいますが、戦前の日本にいた朝鮮人はほぼ全員が非合法密航者。だって、朝鮮にいるより日本の方が稼げるんですから。それは今も変わらないですよね。「アメリカンドリーム」ならぬ「日本夢」があったんですね。
ある意味「正直」な人ではある。ww
面白いのは、甘い食べもの(日本)に群がるアリ(朝鮮人)は、日本本土(内地)がアメリカ軍の空襲を受けるようになるといっせいに朝鮮半島に逃げ戻ります。そして1948年から始まった「韓国大虐殺」の際に日本に再び舞い戻ってくるわけです。もちろんこれも全部非合法密航者。実際問題、在日韓国朝鮮人のルーツはほぼ全部「非合法密航者」だと思いますよ。でもそれだと「特別永住許可」が下りませんから、「強制連行」芝居をやっているのでしょう。まあ、こんなペテンをやっている間は、韓国人は、日本人から疎まれることはあっても理解されることは永遠にないでしょうね。 By なでしこりん
「戦前の朝鮮人密航検挙記事」 .(資料元 http://ccce.web.fc2.com/zm.html )
この資料は大変貴重な資料です。ぜひ多くの皆様によって利用拡散されることを願っています。
・『鮮人内地へ密航/発見されて説諭』 大阪朝日 1921/7/15 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・又も帆船で密航した不逞鮮人四名逮捕さる』 大阪朝日 1922/5/20 〔7/4〕 下関・兵庫 【社会】
・『北鮮から密航の怪鮮人/新羅丸の石炭庫に潜伏』 福岡日日 1922/5/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】
・『鮮人十名密航』 大阪朝日 1922/7/2 夕 〔2/1〕 下関・山口 【社会】
・『鮮人十名の密航者/京畿丸に潜伏』 京城日報 1922/7/4 〔4/8〕 下関・山口 【渡航】
・福岡・山口 【渡航】・『密航鮮人発見(遠賀郡芦屋町)』 門司新報 1923/11/7 〔1/5〕 遠賀郡・福岡 【渡航】
・『内地密航と取締』 大阪朝日 1923/12/6 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『鮮人の内地密航に警戒の眼が光る/釜山水上署の取締』 京城日報 1923/12/20 〔2/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『発動船で密航/鮮人九名発見』 福岡日日 1924/2/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】
・『丗名の鮮人欺されて密航/山口特牛港に』 福岡日日 1924/5/2 〔1/3〕 ・山口 【渡航】
・『五十余名の密航団/難船して露見に及ぶ』 京城日報 1924/5/9 夕 〔2/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『密航の鮮人』 門司新報 1924/7/11 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】
・『極左傾の不逞鮮人が日本へ密行した/手配が廻つて警視庁活動(青山爆弾事件。在ウラジオストクの活動家が日本に密航した形跡があるという朝鮮総督府の打電により活動開始)』 京都日出 1924/8/15 ・東京 【警備】
・『巧妙な鮮人の密航/当局も取締りに悩まさる』 京城日報 1925/5/15 〔3/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】
・『鮮人労働者を内地へ密航させる/大仕掛な企て暴露』 京城日報 1925/5/21 〔3/6〕
・『四十二名の密航者検挙/第一回の小手調べ/募集人は厳重処分』 京城日報 1925/10/11 夕 〔5/1〕 慶南・朝鮮 【渡航】
・『労働者釣りの悪玉縮み上る/密航者は次第に減少の傾向がある』 京城日報 1925/10/16 〔6/1〕 慶南・朝鮮 【渡航】
・『鮮人丗五六名を乗せた奇怪な密航船来る/白木署に上陸して行衛不明/其筋では頗る重大視(門司市)』 福岡日日 1926/3/12 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】
・『小発動機船で鮮人の密航団/三十名釜山から門司に上陸し行方を晦す』 大阪毎日 1926/3/14 夕 〔2/5〕 門司・福岡 【渡航】
・『長さ四間の発動機船で/鮮人三十余名密航す/氏名も目的も行先も判らぬ/時節柄厳戒を加ふ』 中国 1926/3/14 門司・福岡 【渡航】
・『密航鮮人一部発見さる/小倉駅頭にて(小倉市)』 福岡日日 1926/3/14 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】
・『鮮人密航団を発見/同勢三十六名の内/十六名を捕へて送還』 中国 1926/3/23 下関・山口 【渡航】
・『朝鮮から内地へ/内地から朝鮮へ/虻蜂とらずに終った/密航鮮人団三十余名』 大阪朝日1926/4/7 朝鮮朝日 下関・山口 【渡航】
・『大胆な鮮人団帆船で密航/玄海を横切って鐘崎へ/福岡署に知れて取調らる(宗像郡岬村)』 福岡日日 1926/4/11 夕 〔1/2〕 宗像郡・福岡 【渡航】
・『怪しき汽船に/六十名が潜伏/大規模な密航団が/釜山署の手で逮捕』 大阪朝日 1926/4/13 朝鮮朝日 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航団鮮人取押へらる』 大阪毎日 1926/4/16 〔11/7〕 門司・福岡 【渡航】
・『七十余名の密航船/下関で発見』 京城日報 1926/4/17 〔3/3〕 下関・山口 【渡航】
・『密航鮮人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸』 大阪朝日 1926/4/17 朝鮮朝日 宇和島・愛媛 【渡航】
・『密航者七十余名が/釜山に送還さる/警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす』 大阪朝日 1926/4/20 朝鮮朝日 釜山・朝鮮 【渡航】
・『鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』 九州日報 1926/4/21 〔1/5〕 宗像郡・福岡 【渡航】
・『鮮人の密航に/頭を悩ます山口県/悪周旋業者に過られた/哀れな彼らの心情』 大阪朝日 1926/4/24 広島 ・山口 【渡航】
・『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県へ/既に三百名に達した』 大阪朝日 1926/4/29 〔5/9〕 下関・山口 【渡航】
・『又も鮮人の密航団/山口へ六十名』 福岡日日 1926/4/29 〔1/2〕 山口・山口【渡航】
・『六十名の密航団/山口県の北海岸で発見』 京城日報 1926/4/30 夕 〔2/4〕 ・山口 【渡航】
・『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県三百名(東宮行啓を控え県警察部は漫然渡航者を乗船地で阻止しているが、密航を企てる者も増加。近頃も大津郡深川村に60名上陸)』 京都日出 1926/4/30 長門・山口 【渡航】
*1943年分まであります。.保存と拡散をお奨めします。
→(資料元 http://ccce.web.fc2.com/zm.html )