まずは「本人の責任」と「親の責任」が問題視されるべき!
「18歳選挙権」と「少年法」の改正は同時に行なうべき課題では?
なでしこりんです。神奈川県川崎市立大師中学1年生の上村遼太くん (13)が殺害された「川崎中1生徒殺害事件」。 加害者と思われる3人の未成年が逮捕され、今後、厳しく断罪されることを望みます。この事件で感じたことを書いてみます。
この事件、ネット情報では早い時期から「殺害犯人グループ」と目される男女のグループが写真付きで公開されていました。どうやら、この殺害グループを追跡している「別のグループ」があったようで、「野毛山公園事件」で被害にあった少年の関係者が情報を求めていました。ネットの時代になって、「少年法」による「加害者の名前や写真を隠す」ことが有名無実になっているわけで、私は「少年法」は現実の社会にすでに合っていないと思っています。
もちろん、加害者に最大の責任があるのは間違いありません。ただし、加害者が未成年の場合、加害者の保護者たる両親にも責任があります。「親はいったいどういう教育をしてきたんだ!」というそしりを受けるのは仕方ありません。民主主義社会において、子どもに民主主義的な素養を持たせる責任は親にあるのですから。ただ、あまり先走って、「民族の違い」を騒ぐと、「差別問題が大好き」な神奈川新聞に余計なエサを与えるだけです。「ハングル」云々はもう少し事実を確認すべきでしょうね。
元同業者としては、神奈川県川崎市立大師中学の対応がどうだったのかが気になります。報道によると、担任の女性教諭が「不登校だった1月19日~2月13日に計5回家庭訪問」とありますから、週一の頻度で対応していたことが分かります。これだけの情報では担任教諭の対応の是非は判断できませんが、「放置してわけではない」と言えます。この担任教諭にとって痛恨の極みでしょうが。
「非行をともなう不登校」の場合は、担任にまかせっきりではなく、どこの学校にも置かれている校務分掌上での「生活指導部」の対応が重要です。もちろん、校長や教頭にも大きな責任があります。ただ、残念な傾向ですが、最近は「生活指導部」の成り手が少ないのが現状です。いわゆる「強面(こわもて)」の男性教諭でさえ、出世にかかわる「暴力教師批判」はこたえます。日本のデタラメなマスゴミや左翼弁護士のせいで「学校の保安官」は絶滅する方向にあります。本来、いじめにあっている子供を救うのが最優先課題であり、「手段」を問題視すべきではないはずなのですが・・・。
新たな情報では、殺害された上村遼太くんの身を案じた少年たちが、事件発生以前に、主犯格とされる少年の家に出向き、「上村くんに手を出すな!」と直談判したとか。現時点ではこの「少年たち」の素性はわかりませんが、私はこの少年たちの行動は評価すべきだと思います。結果として、「他の奴にチクッタ」という理由で上村くんは殺されてしまうわけですが、社会の自浄能力が低下する中、私は、「少年たち」の行為はほめられるべきであり、非難されるべきことではないと考えます。
「少年たち」が主犯格の少年の家を「家庭訪問」した際、主犯格の少年の家族は警察に通報し、神奈川県警の警察官も現場に到着したそうなんですが。この時点で警察によって何らかの状況把握が行なわれていたら・・、と思わざるをえません。それはそれで「言わずもがな」なのかもしれませんが。
「いじめ による殺人事件」が大きく報道されても、殺人犯の名前も写真も出ないことが、「未成年なら殺人をやってもかまわない」という間違ったメッセージを送っているとしたら・・・、やはり、「少年法」の時代遅れを指摘せざるをえません。来年の夏の参議院選挙から「18歳参政権」になる予定です。政治参加は「大人として認めること」に他なりませんから、少年法も18歳以上の犯罪者は公開すべきですし、殺人にかかわるような悪質犯罪に関しては「13歳以上は公開」でよいのではないでしょうか? 民主主義社会は「他人に迷惑をかけない」ことが社会参加の前提です。犯罪者は刑務所に隔離されます。保護されるべきは被害者の人権であり、加害者の人権ではありません。 By なでしこりん