テレサ・テンの歌声は今もアジアのどこかで流れています。
私たち日本国民も「虐殺大国・中国」にノーの声をあげていきましょう!
なでしこりんです。今日は6月4日ですので「六四天安門事件」のことを忘れないために記事にしておきましょう。
六四天安門事件(ろくよんてんあんもんじけん)とは、1989年6月4日に、同年4月の胡耀邦の死をきっかけとして、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧した事件。死傷者については中国共産党による隠蔽工作が行われたため正確な記録はなく、中国共産党と友党関係にあったソ連共産党政治局が受け取った情報報告では、「3000人の抗議者が殺された」となっている。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
「共産党 はなぜ国民を殺すのか?」 共産主義政党の歴史は「反対派への虐殺の歴史」だったと思います。ソ連のスターリン、中国の毛沢東、カンボジアのポルポト。北朝鮮だって共産主義ですよね。この連中がやったことは反対者への容赦のない虐殺でした。中国は毛沢東以後でも、1989年の「六四天安門事件」と、1999年から始まった「法輪功虐殺事件」は決して過去の歴史事件ではなく、現在進行形の虐殺事件ですよね。中国マンセーする日本の政治家は、その手をしっかり洗わないと虐殺された人々の血が付いているかもしれません。
今日は、台湾人の歌手であり、なおかつ日本の歌手でもあった「テレサ・テン(鄧麗君)」さんのお話。テレサさんと「六四天安門事件」のかかわりとして有名なのが、6月4日の一週間前に行われた「中国民主化支援コンサート」に参加して「我的家在山的那一邊(私の家は山の向こう)」を歌ったこと。
テレサさん は当時、香港におり、テレビから流れてくる「中国民主化支援コンサート」にいても立ってもいられなくなり急遽参加したという逸話も残っています。会場では「民主万歳」のハチマキに「軍管反対」のゼッケンを身に付けて歌っているビデオ映像は今でも見ることができます。
1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのホテルで気管支喘息による発作のため42歳で死去。当時は、不慮の病死ではなく、テレサ・テンさんの影響力を恐れた「中国当局による暗殺では?」という話もあったようです。その噂の根拠になったのが江沢民の存在。「江沢民ならやりかねない」と感じた人が多かったのではないでようか?→「元NYT東京支局長・ストークス氏 の「日本への提言」、日本の発信力は? 」
「鄧麗君、死して民族愛を残す」とでも言うのでしょうか、テレサ・テンという歌手はこの世から消えても、アジアの人々の心の中にはテレサ・テンという「アジアの歌姫」は今も尚、確かに残っていますよね。中国共産党という強大な権力を持つ集団に対して、個人の立場で「中国共産党は人権蹂躙を止めて!」と立ち上がった彼女に「権力に負けない芯の強さ」を感じたのは私だけではないはずです。そして、その芯の強さを江沢民が恐れたとしても不思議ではありません。 By なでしこりん
今聞いても胸にジーンと来ませんか?