パラオは親日ばかりなく「あの国」とも友好関係を結んでいた!
パラオの人たちが台風の被害を避けるために行った場所はどこですか?
おはようございます、なでしこりんです。 「パラオ支援・草の根募金」へのご参加ありがとうございます。多くの皆様から「少しだけど送金したよ」というお声がたくさん届いています。中には、入院中の方から「ATMまでがんばって行ってくる」というメールを拝見した時には、涙腺堤防が決壊してしまいました。 本当にありがとうございました。
実は、パラオへ行くには台湾経由が本当は便利?
パラオ共和国のことを調べてみますと新たな驚愕の事実が判明しました。 なんと、パラオは、「台湾を国家として認めている23カ国のうちの一ヶ国」であることが判明しました。最近では中国資本のホテルの建設などもあるようですが、基本、パラオ共和国は中国とは国交を持っていません(拍手)。 しかも、中国の密漁船にはパラオの海上警察が銃撃を加えて逮捕するという硬派ぶり!ww 知れば知るほどパラオを応援したくなりませんか!
さて、そんなメールの中で、大変興味深いメールをいただきました、 以下、全文を転載いたします。
今回、建物がほぼ全壊しているにも関わらず、どのようにして人々が助かったのか情報を得られていませんが、下記の池閒哲郎さんの著書にヒントが隠されているように思います。
--以下引用--
2012年、大型台風がこの島を直撃し、風が吹き荒れ、家屋が倒れ、木々はへし折られてしまった。
役所の屋根は吹き飛び、現在でも荒れた状態で使用している。
以前から「日本人が造った建物は頑丈だから、台風が来たらその中に避難しろ」と教えられていた。
80年ほど前に建てられた日本軍総司令部・発電所・倉庫などだが、最大瞬間風速70メートルでもびくともしなかった。
「なぜ日本はアジアの国から:愛されるのか」様よりhttp://bewithgods.com/hope/japan/23.html
記事の中にもあった「日本軍総司令部」跡。コンクリート製で今も健在。
現時点では、どのような対策が「パラオの台風被害・死者ゼロ」という奇跡を生み出したかはわかっていませんが、日本軍人が作ったものがパラオの人々の生命を守ってきたとするならば、パラオ周辺で戦死された日本軍の英霊の皆様はさぞやお喜びのことでしょうね。目に見えるもの。そして目に見えないもの。 実は日本のアジア・太平洋の進出による「功績」がたくさんあります。そういうものを日本人はもっと知るべきですね。日本の高校なども、韓国などに行って不快になるよりは、パラオに修学旅行に行けばいいのにねww By なでしこりん
日本統治時代のパラオの小学校
◆台風30号の被害に対する緊急援助の実施
平成25年11月18日
在パラオ日本国大使館
11月15日、日本国政府は、パラオ共和国における台風30号の被害に対し、パラオ政府からの要請を受け、国際協力機構(JICA)を通じ,200万円相当の緊急援助物資の供与を実施することを決定しました。緊急支援物資には、2.2kWの移動式発電機5基、コードリール5巻、スリーピングマット120枚、50メートルの防水シート20巻が含まれます。 これらの物資は11月22日にパラオ国際空港に到着し、カヤンゲル州でがれき撤去作業を続ける人々をはじめとした被災者のもとへ、パラオ政府により直ちに届けられます。
これはこれで「適切な支援」だったと思います。 私たち日本人は、いついかなるときでも、「困っている人がいれば助ける」という精神を持ち続けたいですね。 今度は「パラオに観光旅行に行って応援」というのも・・・・ありですね!www