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Channel: なでしこりん
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韓国大統領パク・クネが今あるのは日本のお陰!朝鮮の奴隷を解放したのは誰だと思いますか?

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知ってた?1909年、日本は朝鮮の「奴隷解放令」を発布したこと!

日本の統治がなかったら、パク・クネは今でも賤民階級のままだった?


 なでしこりんです。韓国の現在の大統領であるパク・クネが、元大統領であるパク・チョンヒ(朴正煕)の長女であることは広く知られています。 では、パク・クネの祖父や祖母は何者か? 見栄っ張りな韓国人ですから、多くの韓国人は「家系図」を捏造し、「自分たちは名家の末裔」というウリナラファンジーの世界にうっとりしているのですが・・・。 パクさんちは、父方の祖父母ははっきりしています。


  
   


 パク・チョンヒ(朴正煕)は、1917年11月14日 の「墓守をしていたパク氏」の家に生まれます。5男2女の末子と言いますから、未開国家の「貧乏子沢山」の家庭が容易に想像できますね。中には「父親は科挙に合格したが、日本のせいで没落した」みたいなことを書いている資料もありますが、国家試験である科挙を受けるのは「両班」の出身者ですから、これは後から付け加えた「うぞの経歴」でしかないことは明白です。なによりもパク・クネの祖父は「墓守」であったことに、その一族の出自がしっかり出ていますね。そう、パク氏の一族は「最下層の賤民(せんみん)」の出身だったんです。


  
      


 5男2女という絵に描いたような貧しい家庭。しかも、一族は賤民。おまけにその7番目の末っ子に明るい未来などあるはずもなく・・・しかし、パク・チョンヒ(朴正煕)の生年月日をもう一度確認してみてください。「1917年」。 日本が朝鮮半島を併合したのが「1910年」です。実はその前年から、「朝鮮総督府」の前身である「統監府」が朝鮮半島の住民に対して大きな「改革令」を発布しています。


 統監府は 1909年に戸籍制度を朝鮮に導入し、李氏朝鮮時代を通じて人間とは見なされず、姓を持つことを許されていなかった白丁などの賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた。これにより、身分開放された白丁の子弟も学校に通えるようになった。身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧された。(ウィキペディア)



 ここ大事です。しっかり見てくださいね。


 「李氏朝鮮時代を通じて人間とは見なされず、姓を持つことを許されていなかった白丁などの賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた。これにより、身分開放された白丁の子弟も学校に通えるようになった」


 これが「1909年」のことです。そして、初代の「統監」って誰だと思いますか?(答えは一番下に) パク・チョンヒ少年が生まれる8年前に「日本人による善意の種」がまかれたんですね。 以下、チョンヒ少年の証言。


 「俺は本当の貧しさを知っている」。これは、小学生の頃は学校に弁当を持って行けないほど生活は苦しかったチョンヒ少年が、後世、酒に酔うたびに友人や側近にと語っていたといた言葉です。本来ならチョンヒ少年の学歴は小学校までで、以後、彼は肉体労働に従事せざるをえなかったでしょう。当時、貧しい家庭の子にはそんなに多くの選択肢はなかったと思われます。


 しかし、チョンヒ少年の前にある日本人教師が現れます。


 「日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育はわりと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している」 パク・チョンヒ(朴正煕)  日韓「禁断の歴史」p.212 小学館 2003年10月 ISBN 4093896518

  

       


 私はもちろん「パク・クネは賤民の末裔」などと侮辱するつもりはありません。 実は、李氏朝鮮の時代に朝鮮半島を支配していたのはごくわずかの王族と両班で、他の庶民の多くは「被支配階級」であり、その最下層にいたのが「白丁」であったんですね。いわば「朝鮮の奴隷制度」を解体し、劣悪な差別社会から、数多くの「朝鮮人奴隷を解放」したのが「1909年の戸籍制度の導入」だったと言っても過言ではありますまい。このことは韓国人が決して学ぶことのない歴史だとは思いますが・・・。


    
     
        伊藤博文公


 最後に「統監府」の初代統監は誰だったか? もちろんこの人ですよね。朝鮮人にまともな神経があるのならば、本来は、「朝鮮の奴隷制度解放の父」と感謝され、あがめられるべきは「伊藤博文」公だったと思います。しかしながら、大多数の朝鮮人のために尽くした伊藤公を、あろうことか暗殺した人物をあがめる朝鮮人の愚かなことよ。伊藤公はさぞや無念であったと思います。朝鮮人の愚かさは100年経った今もなお続いています。 By なでしこりん


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