韓国人が「修学旅行は日帝残滓」と主張していますが
日韓併合時に1300万人→2500万人に増えた朝鮮人も日本からの贈り物ですが ww
なでしこりんです。韓国人に「人類的欠陥」があるとすると、「自分たちのミスを検証できずに他に責任転嫁する」ことですよね。こういう人間は「一番嫌われる」ことに韓国人は気づいていません。今日は韓国の「デイリーアン」からです。
親元を離れての旅行にこそわくわくどきどき感がありますよね(2枚とも日本の子供たち)
修学旅行は思い出のアイテムによく使われるが、本質的に非常に危険な旅行で災難になったこともある。今回もそうだ。修学旅行が精神文化次元でも望ましくない上、運営上も問題があることを思えば反教育的な側面が多いにもかかわらず今も残っているのはおかしい。
今、私たちが知っている修学旅行は日本近代化の産物だ。日本は明治維新後の1907年、修学旅行を作り出した。例えば、1910年から朝鮮と満州を往復する13泊14日の修学旅行があった。しかし、決して近代化の望ましい要因を含んではいなかった。修学旅行を通じて日本は学生に家族体教育をする。大規模旅行の過程で学生たちは統制の対象であり、その中で集団的な野外旅行の組織的行動を習得することになる。
また、朝鮮の学生たちを日本に修学旅行に送って朝鮮半島を自虐し列島を敬わせた。このため1920年代、拒否同盟運動が起きた。とにかく、この様な修学旅行をまねた旅行プログラムはその後、日帝植民期を経て韓半島では一つの旅行文化の位置を占めることになる。韓国では余暇文化生活が少なく、学生時代に安く行ける旅行に意味があった。そのため思い出の常連アイテムになった。だが、今は家族旅行文化が発達し、学生たちはそれなりのところはすでに行っている。
また、集団主義文化より個人の自由主義文化が望ましいので好まれなくなった。何より修学旅行が危険な理由はリスクヘッジ(hedging)ができないからだ。大人数が動くので常に事故の危険があり、その事故で大型人命被害が憂慮される。観光バス何台にも乗って一度に大規模移動することもそうだが、汽車や飛行機そして船舶もかなり危険だ。
従って集団移動が必要な修学旅行は安全保護の立場から非常に脆弱だ。分散方式の旅行運営が必要だったが、日帝時から形成されたこの様な弊害を拭えずにいる。各人の進路に結びついた体験学習を施行している学校もあるが、大部分は日帝時代から続く集団主義旅行制度をそのまま受け継いできた。
この様な旅行プログラムは常に利権を産んだが学校は行政的な便宜のため変らず実施してきた。その中で学生たちの安全と生命は簡単に危険と死に露出する。しかも安価な旅行だから学生たちは良い待遇を受けられない。さらに大人数が移動するから一人一人の人格権が保障されない場合が多い。もし家族単位の旅行ならこのような待遇は受けないだろう。父兄の立場でも学校行事に反対するのは容易ではない。これまで多くの問題が提起されても、学校は特別な措置をとらなかった。
今回の事故は典型的な事例ながら最悪の事態であった。すでに修学旅行はその起源が望ましくないのみならず脆弱な安全性、教育効果も疑問がある。(中略:集団行動自体が疑問) 一国のアイデンティティだけでなく自由民主主義教育現場に合うように修学旅行自体が廃止されるべきで個人的個別的な新概念の教育旅行が必要だ。(デイリアン) http://www.dailian.co.kr/news/view/433299
朝鮮の私立徽文高等の修学旅行
韓国人の文章は毎度長いだけで、本当につまらないですね。要するするに、「修学旅行は日本がルーツだから気分が悪い。この際、修学旅行はやめてしまえ」ということをダラダラ書かないでほしいですね。「日帝残滓(にっていざんし)」とは、1910年から1945年までの「たった35年間」の日韓併合時代に受け入れられた「日本文化の残り」のことです。
「日帝残滓(にっていざんし)」という言葉からだけでも「日本への憎悪」があふれていますよね。 ちなみに、1910年から1945年の「日帝支配の朝鮮半島」ではなぜか、朝鮮人が「1300万人から2500万人に大増殖」します。 まあ、常識的に考えれば、戦争も飢饉もなく、平和な時代が続いたから朝鮮人が家庭を持って、子宝に恵まれたと考えるべきだと思うのですが・・・実はこれこそが「最大の日帝残滓」なんだと思うのですがww・・・・韓国人に言わせると、このわずか35年間が、2000年にも及ぶ「中国支配」より最悪なそうなんですよ。なんか、朝鮮のためにがんばって働いた当時の日本人がかわいそうに思えてきますね。
日本語で「光る」を意味する「ppikka」という言葉が使われていることを理由に放送禁止!
韓国では、アイドルグループが歌う歌詞の中でさえ「日本語風の言葉」が入っていると放送禁止になるんだとか!ww 日本人が考えている以上に、韓国社会での「表現の自由」は抑圧されています。日本で「日韓友好」を叫んでいる人たちはぜひ韓国で「日韓友好」を叫んできてください。韓国人は決して、日本人を暖かく迎えることはないですから。
李氏朝鮮では、儒者による「廃仏」がおこなわれ、僧侶は「賎民」でした。仏教が保護されたのは日韓併合時代。だから「まともな仏様」が韓国にないので、彼らは「盗む」のです。文化と仏様そのものを!
韓国人・崔碩栄さんが書かれた『韓国が反日国家である本当の理由』の中にも「日帝残滓(にっていざんし)」の話が出てきます。崔さんによると、韓国はもともと「儒教」が強かったので、仏教の行事である「除夜の鐘」は朝鮮の風習になく、日韓併合後に日本から持ち込まれた風習なんだとか。ですから「除夜の鐘も日帝残滓(にっていざんし)」のはずなんですが、だれも止めようとはしないそうです。「お花見」もしかり、「花札」もしかりです。要するに、自分たちが楽しんでいるものは日帝残滓であろうとなかろうと関係ないんですね。こういうのを「ご都合主義」と言います。ご都合主義は韓国人の特徴的な性質ですね。
清水さんも、こんな勝手な政治活動を境内で許したらあかんどすえ!(京都・清水寺)
「修学旅行は日帝残滓だから止めてしまえ!」という主張が実を結ぶことはないでしょう。なぜなら、韓国の高校生は「修学旅行を楽しんでいる」からです。まあ「独島宣伝」がてらに日本に来る韓国の修学旅行生もいますが、やはりクラスの仲間と寝食を共にするのは「理由なく楽しい」ものです。それを「日帝時代から続く集団主義旅行制度」などと思うのは、友人のいない「ボッチ君」の妄想でしかないこと明らかですよね。いかに愚かな韓国人でも、「楽しいことはやりたい」と思うのが当然であり、修学旅行が危険なのではなく、「自分たちのミスを検証できずに他に責任転嫁する」韓国人にこそが危険なことは、いかな韓国人でも理解できるんじゃないでしょうか。 By なでしこりん