歴史的な事実を公平に見れば、日本がアジアの独立に寄与したのは歴然
「日本軍は悪、日本の将官はみんな馬鹿」って自虐史観で見ていない?
なでしこりんです。 私は日本人であり、日本人の民族性を理解しているつもりです。日本人は、たとえ戦いの中にあっても「敵にさえ憐憫の情をかける」ことを一つの美徳として生きてきました。「源平合戦」における源氏方の武将であった熊谷次郎直実は、平家方の公達である年若の平敦盛を見つけますが、敦盛の幼さがわが息子と重なり、一時は見逃そうとしますが、源氏方の軍勢が迫ってきたため泣く泣く敦盛の首を取ります。その後、直実は仏門に入り敦盛の供養をおこなうんですよね。戦争は美化すべきではありませんが、真剣に戦った者同士には、そこには憎悪ではない「敬意」すら生まれるような気がしてなりません。 今日は「産経新聞」の記事からです。
【ロンドン=内藤泰朗】第二次大戦後期のインパール作戦で日本軍と戦った元英軍兵士らが21日、初めて日本を訪れ、かつての敵である元旧日本軍兵士らと靖国神社を参拝し、双方の戦没者を慰霊する。一行には、激戦の舞台となったインドの映画監督ウタパル・ボルプジャリ氏が同行し、日英印をまたいだ和解の歩みを映像として記録する。
訪日するのは、インパール作戦の激戦地だったインド北東部コヒマでの戦いに加わった、英退役軍人のロイ・ウェランドさん(93)=英南東部コルチェスター在住=と、現地で英第2師団を指揮したジョン・グローバー少将の家族など英軍関係者ら4人。一行は、コヒマの戦いから生還した元日本兵の浦山泰二さん(92)と22日に東京で面会。24日に浦山さんと靖国神社や千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れるほか、捕虜として日本で亡くなった英連邦の戦死者墓地(横浜市保土ケ谷区)で献花する。
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さらに、日本陸軍31師団(烈師団)を率いた佐藤幸徳中将の出身地である山形県庄内町を訪問し交流を深める予定だ。同町の代表団は昨年11月に英国を訪問し、日本軍と戦った英軍部隊の関係者らの歓待を受けた。 ボルプジャリ監督は、インパール作戦でインド国民軍を率いたインド独立運動家のチャンドラ・ボースの遺骨がある東京都杉並区の蓮光寺なども取材する。
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1944年5月、コヒマでの戦闘で負傷し1カ月ほど入院した経験があるウェランドさんは訪日を前に、妻のルース・スミスさんを通じ「敵としてでなく日本に行けるのは幸せだ。私たちは未来の世代のために、友人になることができるのではないか」と語った。浦山さんの長女で、元英兵たちの初訪日を実現させた英国在住のマクドナルド昭子さん(63)は、「英軍人たちは、今回の靖国神社参拝の意味を理解している。日本と英国、インドは、教育や交流を通じて悲惨な過去を前向きで建設的な関係に発展させることができる」と強調している。(産経新聞)http://www.sankei.com/smp/life/news/141020/lif1410200007-s.html
私は この時代のことはもちろん直接的な体験があるわけではないので、正しい評論はできません。これから書くことに間違いがあれば訂正をお願いいたします。この記事の中に登場する人物のことについて書いてみます。佐藤幸徳中将は「抗命事件」で有名な方ですね。佐藤中将を語る時には、その上官であった「牟田口 廉也」第15軍司令官のことを触れずにはおられません。記事中にもある「インパール作戦」の直接の指揮官であったのが牟田口司令官。佐藤中将は一つ下の第31師団長でしたが、戦況の悪化、補給の途絶にともない、佐藤中将が独断で撤退するという事が起こります。このことを取り上げたNHKの番組が「牟田口無能論」とも言うべき立場で番組を作ったことに対して牟田口氏の遺族が抗議したという事実もあるようです。最近のNHKの自虐史観を知れば知るほど、番組作成者の意図を勘ぐることも必要ではありませんか?
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司馬遼太郎が著した「坂の上の雲」における「乃木将軍無能論」と同じように、私は「牟田口無能論」には懐疑的です。というか、牟田口擁護論ではなく、「全ては個人の資質の問題=日本の将官は馬鹿」という形の責任論に懐疑的なんです。乃木将軍は精神主義一辺倒の軍人ではなくドイツにおいて攻城戦を学んだエキスパートでもありましたし、また「203高地」を陥落させた後も、敵であるロシアのステッセル将軍に武人としての待遇を与えています。個人の主観による「○○無能論」には個人的な思惑が背景があるような気がしてなりません。「個人の責任と組織の責任」をごちゃ混ぜにする時、「組織が持つ本質的な弱点」がかえってあいまいになるように思えてなりません。
伊号潜水艦で日本に向かうチャンドラ・ボース氏(最前列中央左)
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チャンドラ・ボースについても、私たち日本人はもっと知っておくべき人物です。日本を拠点にして活躍したインド人革命家でボース姓の人物は2人います。一人は「中村屋のボース」で知られているラス・ビハリ・ボース。 そしてもう一人がインド国民会議派議長(1938 ~1939年)、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官であったスバス・チャンドラ・ボース。日本軍による「インパール作戦」は無謀な作戦という評価が日本では一般的ですが、「インドの独立を助けるための作戦」という見方も今後は検証されるべきでしょう。なんせ、日本国内には「日本軍は悪。日本の将官はみんな馬鹿」という神話が信じられていますからね。私たちは「自虐史観」ではなく、「事実に基づく日本の歴史」を再検証すべきでしょう。
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今回、元イギリス軍の将兵たちが靖国神社を参拝されることはありがたいですね。やはりイギリス人には「戦いが終われば全てはノーサイド」という精神があるのでしょう。こういう高尚な精神は、「あの半島民族」には永遠に理解できないのでしょうね。 By なでしこりん
私はこの映像を見て涙が止まりませんでした。ぜひあなたも見てください。