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在日老人が「在日の歴史」を証言!在日韓国人は「民族教育のウソ」を認め、日本国民に謝罪せよ!

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在日韓国朝鮮人を生み出したのは日本ではなく韓国軍だった!

 民団や在日韓国人は恥を知れ!在日1世を助けたのは日本国民でしょ!


 なでしこりんです。私のブログを読んでくださっている方は、「在日韓国朝鮮人は密入国者」ということはご存知だと思います。ところが、本来ならば、直接、家族から「密入国の話」を」聞いているはずの在日韓国朝鮮人2世3世が「強制連行というウソ」にしがみつき、現在ではさらに悪質な「ジャップ連呼」をおこなっています。 もちろん「犯罪者の末裔」ということは恥ずべきことでしょうが、在日韓国朝鮮人1世たちを助けた日本人を敵視する教育を平気でおこなっていることは到底承服できることではありません。それこそ、罪なき人を貶める「誣告罪」です。 今日は貴重な証言です。「もっと早いうちに証言してほしかった」とは思いますが、勇気ある証言でもあります。感謝します。記事は読売新聞からです。

   
   



  『猪飼野(いかいの)詩集』などで知られる在日の詩人・金時鐘(キムシジョン)さん(86)が、回想録『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)を刊行し、韓国・済州島(チェジュド)で1948年に起きた「四・三事件」との関わりをつづった。

 「苦難の故郷を見捨てて逃げを打ったことは一生の負い目」と長く沈黙してきたが、その体験は金さんの紛れもない“詩のありか”でもある。


 四・三事件は、同年4月3日の反体制派弾圧事件。南北分断の固定化につながる南朝鮮の単独選挙を阻止しようと、民衆が武装蜂起し、軍や警察の鎮圧部隊に数万人が殺された。19歳の金さんは、武装隊を率いた南朝鮮労働党の一員だった。襲撃先の郵便局では、同志が目の前でカービン銃で撃たれ、自らも追われる身となった。翌年5月、日本行きの密航船に乗り込み、大阪・生野のコリアンタウンに行き着いた。

 〈春は 喪の季節です。/甦(よみがえ)る花は きつと/野山に 黒いことでしよう。(略)
//私は一本の つつじの花を/胸にかざるつもりで います。/砲弾の くぼみに咲いた 黒い花です。〉

 55年に出した第1詩集『地平線』で焦土と化した故郷を悼んだが、自らの関与には触れていない。「軍事政権下の韓国に強制送還されれば、事件の残党ということでまず命はなかったやろうから」。日本に来た理由は「よんどころない事情」としたままだったが、ゆるぎない詩人の言葉で「在日」を生きる意味をとらえてきた。「そうでないと、民族意識に目覚めたことも、事件に関わったことも、自分にとって何のよすがでもないことになる。空虚だよ。知った者が、知らない形は取れないのよ」

 韓国の民主化が進んだ90年代以降、事件の検証が進むにつれ、講演や対談の場で体験を語り始めた。2010年の詩集『失(な)くした季節』では当事者としての心情を率直に表現した。


 〈ぼくの春はいつも赤く/花はその中で染まって咲く。(略)//世紀はとうに移ったというのに/目をつぶらねば見えてもこない鳥が/記憶を今もってついばんで生きている。(略)//木よ、自身で揺れている音を聞き入っている木よ、/かくも春はこともなく/悔悟を散らして甦ってくるのだ。〉

 改めて文章に書き残したのは、「80も半ばを過ぎて、自分の整理をしたようなもの」。苛烈な生を支えたのは、密航船の手配を整え、一人息子を逃がした両親の存在だった。「まるで鳥がひなを育て、巣立たせるような見返りのなさ。それは、愛の全くの原型なんだよ」。朝晩、遺影に向かってあいさつを欠かさないという。(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20150331-OYT8T50042.html

   
    
       金時鐘さん


 現在、韓国には、「ベトナムで韓国軍に虐家族を殺された被害者」が訪れていますが、当時の韓国軍部隊の連中(現在、軍OB)によって、講演会が妨害される事態が発生しています。韓国という国にとっての「韓国軍」は大きな圧力団体でもあります。韓国軍の犯罪を暴いている「ハンギョレ新聞」は左翼の新聞社であり、韓国軍批判は、軍を背景にしているパク・クネ政権への批判でもあるんです。


 ですから、パク・クネは「済州島四三事件」のセレモニーには出席しません。この事件も韓国軍の前身が左派の南朝鮮労働党党員や家族を虐殺したものですからね。


済州島四・三事件

1948年4月3日に済州島で起こった島民の蜂起にともない、韓国政府・韓国軍・韓国警察などの前身が引き起こした島民の虐殺事件。島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺され、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。韓国軍は島民の住む村を襲うと、若者達を連れ出して殺害するとともに、少女達を連れ出しては数週間に渡って輪姦、虐待を繰り返し惨殺した。済州島では事件前(1948年)に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされる。(wiki *韓国の成立は1948年8月15日です)

   
   


 韓国軍 による「韓国人への虐殺事件」はこれだけではありませんよ。 韓国が「日本はナチス」と言うのは、実は「韓国軍こそがナチス並みの大虐殺」した」ことをごまかすための責任転嫁でしかりません。そして日本に在日韓国朝鮮人がいるのも、すべて韓国の事情なんです。在日韓国朝鮮人と日本の反日左翼の共同創作こそが「強制連行というウソ」なんですね。ぜひ一人でも多くの日本の若者たちにこの事実を伝えたいです! By なでしこりん


 以下、在日韓国朝鮮人は「強制連行されたというウソ」ではなく「戦争難民・密入国者」という事実を認めよ!
の再掲です。

  
   

              ピカソ作「韓国大虐殺」

 

日本人が知らない「在日韓国人と韓国軍の血塗られた歴史」

麗水・順天事件

1948年10月19日、済州島四・三事件鎮圧のため出動命令が下った国防警備隊第14連隊(約2,000名)が反乱を起こした。韓国政府は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日には反乱は鎮圧された。事件後、韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、反乱共謀者として非武装の民間人8000名を殺害した。


聞慶虐殺事件

1949年12月24日に大韓民国慶尚北道聞慶郡(現:聞慶市)で、共産匪賊に協力したなどとして、韓国陸軍第2師団第25連隊の第7中隊第2小隊第3小隊が非武装の女性、子供、老人の88人を射殺した。事件は長らく共産匪賊による仕業とされていたが、2007年6月26日に韓国政府の犯行であったことが明らかにされた。


朝鮮戦争

1950年6月25日 - 1953年7月27日-休戦)は、成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、国境を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争。戦闘に巻き込まれたり虐殺された民間人の死者だけで200万人を超えるという


保導連盟事件

1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受け、李承晩大統領の命令により、韓国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための制組織「国民保導連盟」の加盟者や民間人など少なくとも20万人~120万人を大量虐殺した事件。


漢江人道橋爆破事件

1950年6月28日午前2時30分頃、およそ4,000人の避難民が渡っていた漢江人道橋を、避難民もろとも韓国軍が爆破し、約500~800名が死亡した。この橋梁の爆破によって、前線で北朝鮮軍と交戦中であった韓国軍主力の退路が断たれ、背後を遮断されたことを知った各部隊は雪崩を打ったように後退を開始し、戦線は瞬く間に崩壊することとなった。


大田刑務所虐殺事件 
朝鮮戦争勃発直後の1950年7月初め、韓国の軍と警察が、大田刑務所の収監者約1800名を銃殺していたことが、このほど資料的に裏付けられた。このことは、2000年1月5日、韓国マスコミが、機密指定解除されたアメリカ国立公文書館の文書から「処刑」が確認されたと報道したことにより明らかになった。


信川虐殺事件

1950年、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)黄海南道信川郡において、国連軍占領下で住民の4分の1にあたる3万5383人が虐殺されとされる事件。


国民防衛軍事件

中国義勇軍の参戦による戦局の悪化を打開するべく韓国政府は国民防衛軍を組織した。1951年初頭、韓国は北朝鮮・中国両軍の攻勢を受け、前線からの後退を決定し、およそ50万の将兵が大邱や釜山へと撤退することとなった。この撤退の際に、国民防衛軍司令部の幹部達が国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを不正に処分・着服。その結果、極寒の中を徒歩で撤退する将兵達に対する補給物資が不足し、9万名余りの韓国軍兵士が餓死・凍死する「死の行進」となった。

江華良民虐殺事件

1951年1月6日から1月9日にかけて、韓国軍、韓国警察、民兵は北朝鮮統治時代に北朝鮮に協力したなどとして島民212人から1,300人を虐殺した。この事件前の1950年には、保導連盟事件で、すでに140人の島民が虐殺されていた。

山清・咸陽良民虐殺事件

1951年2月8日、韓国陸軍第11師団第9連隊第3大隊は居昌郡に隣接する山清郡今西面、咸陽郡柳林面の一帯にある12の村々の住民705人を集め、パルチザン殲滅と称して殺害した。


居昌良民虐殺事件

1951年2月9日から2月11日にかけ、2月8日に山清・咸陽良民虐殺事件を引き起こした 韓国陸軍第11師団第9連隊第3大隊が共産匪賊のパルチザンを殲滅するためと称し、無実の市民を719名を虐殺した。犠牲者の内訳は、3歳以下100人、4~11歳未満191人、11歳~15歳未満68人、15歳~60歳未満294人、60歳以上66人であった。


 
 

 South Korean soldiers detaining a group of young female communist prisoners during a communist uprising against the rhee government.Location: Korea (South) Date taken: November 1948

 
 
  ライフ誌の解説には、Grieving women and civilians killed by communist rebels during the 1948 Yeosu-Suncheon Rebellion. とありますが、「麗水・順天事件」ならば、正しくは、Grieving women and civilians killed by South Korean government army ではないでしょうか? なぜなら外国人オブザーバーが現地にいますから。女性たちは彼に抗議しているように見えます。


 これをご覧になられた皆様なら、在日韓国朝鮮人が「ウリたちは強制連行された来たニダ」とウソをつき、そのくせ韓国や朝鮮に「帰国したがらない理由」がご理解いただけたでしょう。おそらく、在日1世にとっては「朝鮮半島は悪夢」でしかないはずです。だからといって、在日1世が日本に密入国し本来ならば手に入れられない特別永住資格の不正取得」をごまかすために「強制連行のうそ」を撒き散らし、感謝ではなく、在日たちを助けた日本国民を敵視する反日教育をおこなっていることに納得できない方も多いでしょう。「助けたのに恨まれる」。 こんな不合理があってよいのでしょうか?

 

 在日韓国朝鮮人のみなさんは故国を思うと同時に、在日1世を助けたにもかかわらず悪く言われ続けている日本人のことも考えてみてください。在日韓国朝鮮人の生活が今あるのは誰のお陰なのか? 自分の頭で考えてください。あなたたちにはなすべきことがあるはずです。 By なでしこりん

 
 韓国軍に殺される前に日本へ逃げるニダ~!
 

 

       これが在日韓国朝鮮人の歴史です。


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