改めて戦後の混乱期に朝鮮人に殺された日本人の無念を思う。
押し付けられたデタラメな歴史を日本の次世代に引き継がせない!
なでしこりんです。ブログをやっていますと、時々、「これは完全にガセネタだよね」と思う記事に出会います。いわゆる「まとめサイト」と呼ばれるアフィリエイト(広告収入)を目的としたサイトにはガセネタが多いと思います。あの人たちはアクセス稼ぎが目的ですから、「事実」などはどうでもよいのでしょう。もちろんまともな「まとめサイト」さんもおいでです。要はサイト主の人間性がサイト運営にも反映しているのでしょう。今日ご紹介するのは「ぼやきくっきり」様のブログ。このブログ主さんは細部まで事実を丁寧に扱われています。 お奨めです。
李栄薫教授:「教科書フォーラム」で殴られたり、ナヌムの家で土下座謝罪させられたり・・。
李栄薫(イ・ヨンフン)ソウル大学経済学部教授の著書「大韓民国の物語」の記述です。
「軍による管理売春は朝鮮戦争当時にも存在しました。ソウル、春川(チュンチョン)、原州(ウォンジュ)、江陵(カンヌン)、束草(ソクチョ)などに慰安部隊が設置されていました。 1952年にソウルの3か所と江陵の1か所に収容された慰安婦は全部で89名だったといいます。 そして、その年に慰安所を訪れた兵士の総数は20万4000名あまりとされ、慰安婦1人当たり1日平均6名という勘定でした。私が会うことができたある従軍経験者の回顧によれば、春川の昭陽江(ソヤンガン)の川辺にはいくつもの天幕が張られており、兵士たちがずらっと列をなして順番を待っていたといいます」
朝鮮戦争終結後も、このような状況は続きました。戦後も米国軍が韓国に駐留したためです。
「1962年段階で登録されていた2万名以上の慰安婦が、6万5000名の米兵に性的なサービスを提供していました。(中略)記録を読むとショートタイムで2ドル、ロングタイムで5ドルが1962年当時の相場でした」
李栄薫教授は慰安婦問題はじめ日本統治時代の朝鮮の実態を明らかにしたことにより、韓国では売国奴として批判を浴び続けています。ナヌムの家で土下座謝罪させられたり、「教科書フォーラム」で殴られたり・・・。 しかしながら、李栄薫教授は今もソウル大学で教鞭を執っています。 辞職要求まで出されながら未だに追放されずにいることを、不思議に思う日本人も多いのではないでしょうか。
実は、「大韓民国の物語」の訳者である永島広紀・佐賀大文化教育学部准教授によれば、「大韓民国の物語」は韓国で30万部超売れたベストセラーで、表立っては言えないものの、 李栄薫教授を評価する多くの韓国人が存在しているのだそうです。李栄薫教授自身が軍経験があり、著書も軍関係者に調査した話などで構成されていて信頼性も高いからだそうです。
そもそも、1950年以前に生まれた韓国人にとって、慰安所があったことは公然の秘密で、 韓国の軍記物小説には、絶対と言っていいほど、慰安婦が登場していたとのことです。 ついでに言えば、この週刊新潮の記事では、韓国軍だけでなく、 米国軍、英国軍、ドイツ軍、フランス軍の慰安婦事情も紹介されています。
さらに、この号では、高山正之さんも連載コラム「変見自在」で慰安婦について述べています。 慰安婦というよりは、むしろ戦時下における強姦をはじめとする残虐行為についてでしょうか。 たとえばベトナム戦争における韓国軍はソンミ村も真っ青の住民虐殺を行い、米議会記録には「犠牲者は30万人を超す」と記述されていること。 そして強姦も凄まじく、ライタイハン(混血児)が3万5000人も産まれたこと。
また、先の戦争で引き揚げ途中に犯された日本人女性の調査では、強姦犯の過半は朝鮮人で、ソ連兵の3倍以上だったこと。 高山さんは言います。 「ベトナム戦争での朝鮮人の振る舞いを思えば、いかに多くの日本人が半島で非業の最期を遂げたか、想像に難くない」。
他に、戦後、日本に入った米兵も例外でなかったことも、細かな事例を挙げて述べています。たとえば、占領下の日本で強姦犯から妻や娘を守ろうとして殺された日本人が2536人もいたこと(調達庁調べ)など・・・。 そして、日本軍と他の国の軍隊の違いについて、高山正之さんはこう述べるのです。
「日本人は戦に美学を持っていた。だから戦場での略奪も強姦も許さなかった。山県有朋は日清戦争で残忍を極める支那兵への報復を訓示で戒めた。フィリピン上陸に当たって山下奉文は略奪強姦放火を軍命令として禁じた。支那戦線も同じ。激しい戦闘で兵士のアドレナリンが極限まで高まっても、米兵のように強姦することは許されなかった。だから「P屋」が女郎を連れて軍の後を追った。朝日新聞の植村隆と中大の吉見義明が「慰安婦は軍が徴発した女子挺身隊だ」と言ったが、それは嘘だ。 慰安婦は日本軍が「強姦しない軍隊」ゆえに生まれた独特の存在だった」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1393.html
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まずは 李栄薫(イ・ヨンフン)教授のことを書きます。この「ぼやきくっきり」のブログ主さんは、李栄薫教授のことを正しく表記されています。最近、ネット上では事実を確かめないで写真に解説を付ける人がいます。たとえば写真左の李栄薫教授が殴られている写真を「慰安婦問題で殴られている」と勝手に解説しますが、これは「ぼやきくっきり」さんの解説どおり「教科書フォーラム」での事件です。
実は 李栄薫教授にしろ安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大学名誉教授にしろ「親日派」と言われていますが、彼らは「朴正煕時代」の肯定派であり、韓国右派に属する学者でもあります。李栄薫教授や安秉直名誉教授が襲撃されたのは慰安婦とはまったく関係なく、「4・19革命会」という韓国の「四月革命」の遺族と支援者による襲撃事件です。「4・19革命会」は安秉直名誉教授や李栄薫教授による「朴正煕時代を肯定するニューライト教科書」の成立を妨害しに来たわけです。意外かもしれませんが安秉直名誉教授や李栄薫教授は韓国の右派体制派ですからクビにはなりません。
私は 基本、戦争を賛美するつもりはありませんが、日本軍が女性を強制連行した事例に取り上げられるインドネシアでの「白馬事件(別名スマラン事件 )」。戦時中のインドネシアの状況を考えてみれば、350年にも及ぶ植民地支配を行っていたオランダ人が今度は捕らわれの身になります。もちろん、インドネシアの人々からすればオランダ人は憎き支配者であり、日本軍が保護収容しなければオランダ人は大虐殺にあっていたでしょう。そういう状況の中で、第16軍幹部候補生隊がオランダ人女性35人を民間人抑留所からスマランにあった慰安所に移動させたことが問われます。この事件、オランダ人捕虜が、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により16軍司令部は、1944年4月末に4ヶ所の慰安所を閉鎖します。この間2ヶ月です。戦後、責任を問われた第16軍幹部候補生隊幹部は1名が死刑、1名が自害しています。これを日本軍による組織的な強制連行と呼ぶには無理があると私は思っています。
高山正之さん は元産経新聞の記者さんです。さすがにするどい斬り込みですね。「朝鮮半島における朝鮮人による日本人虐殺」は日本のメディアではタブーでありアンタッチャブルですよね。でも、「竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記」の中でも朝鮮共産党軍の兵士による日本人の虐殺は描かれています。最近話題になった北朝鮮国内の日本人集団墓地は、あれは全部、朝鮮共産党軍の兵士による日本人の虐殺の犠牲者ではないですか? こういう事実が伝われば日本国内にある朝鮮学校や朝鮮大学などは存在できないでしょう。在日韓国朝鮮人が日本のマスゴミに侵入するにはこういう理由があるんですね。
私は 「ぼやきくっきり」さんのブログを読んで、改めて韓国朝鮮人の悪質さを感じました。韓国があれほど慰安婦問題を特殊化し、日本軍の犯罪を強調するのは、まさしく「犯罪者が己の犯罪の露見を恐れる心理」なんでしょう。私たち日本人は「日本と韓国は仲良くしましょう」という前に、「戦後の朝鮮人による日本人虐殺のへ報復がまだ済んでいませんよ」と言うべきではないでしょうか。 By なでしこりん