歴史は繰り返す?中国・韓国が懲りずに日本を侵略する!
日本防衛のために戦った対島、壱岐、九州の人々に感謝!
なでしこりんです。私は大阪で生まれ育ちましたから「生の朝鮮人」をたくさん見てきました。朝鮮人という生き物は、基本の価値観は「損か得か」であり、「自分に都合のよいことは声高に主張し、自分に不利益なことは隠す」と言うことを平気で行います。時には「うそをついてでも自分の都合がよくなる」ようにさせるんです。現在の日本と韓国の「歴史認識の違い」は朝鮮人の価値観に大きく影響されていることは間違いありません。 今日はとっても「面白い記事」を朝日新聞が書いています。何が面白いのでしょうか?
「元寇」は正しくは「元と高麗による日本侵略戦争」なんですよ!
下村博文・文部科学相は24日の記者会見で、韓国で慰安婦問題を担当する趙允旋(チョユンソン)・女性家族相に対し、日韓にモンゴル、中国を交えた元寇(げんこう)の共同研究を提案したことを明らかにした。
下村氏がスイスのダボスで開かれた「世界経済フォーラム年次総会」の関連会合で趙氏と立ち話をした際、「共同研究の端緒にしたいと尹炳世(ユンビョンセ)外相に話したい」と提案。趙氏は「2月に改めて朴槿恵(パククネ)大統領から歴史教育の共同研究で提案する準備をしている」と説明したという。朴氏は昨年11月、日中韓3カ国を念頭に「北東アジア地域で共同の歴史教科書を発刊すべきだ」と提唱している。
現地で会談の可能性を模索していた尹炳世(ユンビョンセ)外相との会談は実現しなかった。下村氏は会見で、ダボス会議に出席した朴大統領について「お話ししたかったが、異常なほど韓国側の警備が私に対してシフトされ、近づくことさえできなかった」とも語った。(朝日新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140124-00000039-asahi-pol
高麗王・忠烈がフビライに「日本侵略」を嘆願した「高麗史」の部分
下村博文先生は、とってもユーモアのある先生で、それでいて「国士」なんですよ。私は下村先生の大ファンの一人でもあります。そんな下村先生がまたやってくださいました。下村先生が韓国側に「日韓にモンゴル、中国を交えた元寇(げんこう)の共同研究を提案した」そうです! これって、思いっきりスパイスの効いた「皮肉」ですよね。なぜなら韓国では「元寇」のことなど韓国の子供たちに教えていませんから!下村先生の意図を察した韓国のパク・クネが警備を厳重にして、顔を合わせないように逃げ回っているさまもおかしいですね!ww
ここで少し歴史の復習です。日本の安土桃山時代、文禄元年(1592年)から慶長3年(1598)にかけて、時の関白であった豊臣秀吉は「朝鮮征伐」を行いました。最近はなぜか、「韓国の不都合なことは隠したい教師」は「朝鮮征伐」を「朝鮮出兵」と教えているようですが、歴史的な背景を考えれば「朝鮮征伐」の方が正しい歴史用語ですね。なぜならこれは、「元寇」という犯罪行為への報復行動ですからね。ちなみに韓国では、「文禄の役を壬辰倭乱、慶長の役を丁酉倭乱」と呼んでいます。こういう言い方をする連中は100%あちらの連中です。
私たちの国・日本には「植民地支配を受ける危機」が何回かありました。その「第一回目の危機」が、「文永の役(ぶんえいのえき・1274年)と弘安の役(こうあんのえき・1281年)」です。あわせて「元寇」と呼んでいますが、実はこれは「元と高麗による日本侵略戦争」と呼ぶほうが正しい呼び方です。しかも、元の日本侵略を進言したのが、すでにフビライに従属していた「高麗王・忠烈」です。私たちはモンゴル軍が日本を攻撃したと思いがちですが、モンゴル軍には「軍船」はありません。日本侵略の軍船を用意したのも高麗です。このことを知っている日本人は少ないですし、韓国では教えてもいません。こういう背景があるから、豊臣秀吉の行動は「朝鮮征伐」が正しい呼び方なんですね。
下村先生の「韓国も元寇を学べ」という呼びかけはまさに「歴史を直視せよ」ということですね。韓国人は「自分たちに都合の悪い歴史は見ない」と言うことを今でも平気で行っています。「朝鮮征伐」は教えても「元寇」は教えないとかね。 韓国(朝鮮)が2000年以上「中国に従属」していたことは韓国以外の世界中の人々が知っています。もちろんそれは哀れむべき歴史ですが、韓国人が今やっていることは、自国の惨めな歴史をごまかすために日本に八つ当たりしているに過ぎません。韓国国内でそれが通用しても世界では通用しません。韓国人に精神を病む者が多いのはそういう「欺瞞」を繰り返しているからでしょう。
1274年10月5日、元と高麗の連合軍が「対馬」に上陸し、対馬守護代・宗資国をはじめ抵抗する島民を虐殺し、女子供は手の甲に穴を縄を通されてれ奴隷にされ、高麗王・忠烈の「戦利品」にされました。10月14日には「壱岐」に上陸した元と高麗の連合軍は壱岐守護代・平景隆らを1000名を皆殺しにしたんですね。その後、九州に上陸した元と高麗の連合軍を迎え撃った九州の武士たちの敢闘奮戦もあり、11月6日、京都に勝報が届きました。私たち日本国民は、「10月5日を対馬の日」、「10月14日を壱岐の日」、「11月6日を元と高麗の侵略を忘れぬ日」と覚えておくべきです。それが、元と高麗の大軍を前にしても、日本のために命を捨てて全力で戦った全ての英霊に感謝し応えることですからね。彼らのの奮戦敢闘がなかったら、今の日本はなかったでしょうから・・・By なでしこりん
「参考ページ」
「意外と知られていない元寇の原因」