籾井バッシングは左翼お得意の言論封殺戦術ですか?
なぜ、左翼と韓国は戦時売春婦の事実を直視しないの?
なでしこりんです。アメリカのニューヨーク州に5番目の「戦時売春婦碑」が建てられ、籾井NHK会長の個人的見解にさえ激しいバッシングをおこない「完全抹殺」しようとしている日本の反日マスゴミと韓国。彼らにとっては、「日本人は未来永劫犯罪者であるべき」という結論が最初からあるんでしょうね。ですから、「戦時売春婦の客観的な事実」さえ確かめようとはしません。韓国人ならいざ知らず、日本人の中にも「戦時売春婦の事実確認さえ拒否」する人たちがいるのは本当に残念です。
実は2013年8月7日に「朝鮮人女衒(ぜげん)の日記」のことが「毎日新聞」の記事になりました。「戦時売春婦問題」で証拠とされるものはたいていが「朝鮮人売春婦の証言」なんですが、これがとんでもない「ホラ話」ばかりなのは多くの人たちが知るところです。韓国側は「手錠をされて強制連行され、無理やり強姦される性奴隷」の大宣伝をしてますが、日本側はあくまでも「事実に基づく検証」を求めています。しかし、韓国側はよほど都合が悪いのか聞く耳を持ちません。
そんな中での「事実資料」が韓国側で発見され、昨年の8月7日に公開されたのが「朝鮮人女衒の日記」なんです。こういう重大な「事実」がなぜ日本をはじめ韓国で検証されないのか?ほんと不思議ですよね。「毎日新聞」はすでに記事自体を見れなくしています。私はきっちりコピーしましたがww 今日は、「籾井発言への異常なまでのバッシング」の背景にあるものは何なのかを考えるために、去年の記事を再掲しておきますね。 この記事を使って、さらに多くの記事が生まれることを願っています。
尋問しているのは日系米兵です
さてここからが「毎日新聞」の記事です。
慰安所:朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどでつづる
第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった。男性は、1942年に釜山港を出発した「第4次慰安団」に参加し、44年末に朝鮮へ戻った。慰安所従業員の日記の発見は、日韓で初めて。旧日本軍による従軍慰安婦問題では、数十年たってからの証言が多いが、現場にいた第三者による記録は、 冷静な議論をする上で貴重な資料と言える。
朝鮮近代経済史が専門で、慰安婦問題にも詳しい安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が見つけた。約10年前にソウル近郊の博物館が古書店で日記などの資料を入手。これを安名誉教授が最近精査し分かった。堀和生京大教授と木村幹神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。
日記は、朝鮮半島南東部・慶尚南道(キョンサンナムド)出身の男性が、ビルマとシンガポールの慰安所で働いた43、44年に記した。漢字やカタカナ、ハングルで書かれている。男性は05年生まれで79年に死去。22年から57年までの日記が残る。ただ、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある42年を含む8年分は、見つからなかった。
男性は、43年7月10日に「昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した」 記述。44年4月6日には「一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が(市場で)働いていた」と書いた。
ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問し45年11月に作成した調査報告書には、42年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録がある。釜山出港の日付が一致し、日記の正確性を裏付ける。
安名誉教授は「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」と指摘する。ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した。
また、日記には「航空隊所属の慰安所2カ所が兵站(へいたん)管理に委譲された」(43年7月19日)、「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという」(同29日)などと、慰安所や慰安婦と軍の関係が記されている。
一方、「鉄道部隊で映画(上映)があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた」(43年8月13日)、 「慰安婦に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った」(44年10月27日)など、日常生活の一端がうかがえる内容もあった。 (毎日新聞の記事はここまで)http://mainichi.jp/select/news/20130807k0000m040125000c2.html
「朝鮮人従業員」なんて書いていますが、実態は「女衒(ぜげん)」のことですね。時代劇に登場する女衒はゴロツキばかりですが、この日記を残した朝鮮人は、女性の身の回りの世話や役所や軍との折衝もしています。まあ「管理人」とか「マネージャー」という感じでしょうか。ある意味、朝鮮半島では「売春女性の管理システム」がすでにあったのでしょうね。(現在も日本に売春婦を5万人も送り込んでいます。ちゃんとシステムがあるのでしょう) 安教授による「軍が強制連行する必要は基本的になかった」という見解は、韓国人や日本の左翼は認めがたいでしょうね。でも実際は、朝鮮人の父親が朝鮮人の業者に娘を売ったんですね。ただ、「前借金」の返済が終わると売春婦は廃業する自由もありました。廃業して故郷に戻った女性を「また売り飛ばした父親」もいたんだそうです。 いかにも朝鮮人らしいですね!
この記事で重要なのが、「安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授」のお名前があることです。安秉直先生は、私に言わせれば「韓国のごく少数のまとも派」とも呼ぶべき人物で、韓国内では、「韓国最悪の親日派」と呼ばれており、現在の韓国の歴史教科書についても批判し、改定を求めている人物です。ですから迫害されることも多く、「殴られている写真の被害者」はたいてい安秉直先生と李栄薫ソウル大教授です。 ある意味、この「日記」が安秉直先生のもとに届いたのは「奇跡」かもしれません。日記は「漢字やカタカナ、ハングル」で書かれていましたから、最近の韓国人には読めなかった可能性が高いですが、それにしても、韓国での反日気風を考えれば、そのまま「廃棄」されてもおかしくなかったですね。よくぞ、残されて、最良の場所に届いたと思います。
日記は、「1922年から1957年」までの35年間分あるそうで、「8年分」が欠落しているといいます。 これも「誰かが廃棄したのでは?」と思う方もおいででしょうが、35年間の日記のうちで27年間分残っているほうがすごいです。 しかも、1943、44年の分があるのですから、「誰かが廃棄したのでは?」ではなく、時間が散逸させたか、日記を書かれたご本人が廃棄したと考えるのが普通です。 もし私が韓国人ならば、1ページたりとも残しはしなかったでしょう。
高麗大学の朴漢竜と日記原本
残念ながら、現時点でこの「日記」は安秉直先生の手元にはありません。現在は、反日で有名な高麗大学の朴漢竜の管理下にあると思われます。朴漢竜は安教授の記事が出た翌日に「こんなん発見したニダ~」とやってます。「人の発見でも自分の手柄」 まさに、恥も外聞もない朴漢竜は韓国人の見本ですね。もちろん、安秉直先生もコピーされているはずですが、研究の主導権を奪われたのは否めません。
私たち日本人がこの「戦時売春婦」問題を考える時、韓国人のデタラメに反論することは重要なことなのですが、韓国人に「一次知識」を与えたのが、いずれも日本共産党関係者の千田夏光と吉田清治であること。韓国で「戦時売春婦はお金になる」と宣伝した朝日新聞・植村隆と、当時、弁護士だった福島みずほ。そして韓国側にだまされたとはいえ、「河野談話」を発表した河野洋平の「大罪」こそ追及せねばなりません。韓国はこの連中の「うそ」を拡大し続けているのですから。千田はすでに死亡していますが、後の関係者はすべてピンピンしているわけですから、今のうちに法的な対処をすべきでしょう。売国奴を畳の上で死なせてはなりません。そして、私たちは、「いわれのない汚名」を晴らさねばなりません。それこそが日本の未来を担う子供たちへの私たちが行わなければならない責務ですから。By なでしこりん
「毎日新聞」に掲載された
「朝鮮人女衒の日記」を読みたい方はこちらから
その①http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-11588424996.html
その②http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-11588425309.html
その③http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-11588425999.html
その④http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-11588426265.html
その⑤http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-11588426541.html
その⑥http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-11588429929.html
いいですか。
戦時売春婦は奴隷ではありません。
彼女たちは戦地で売春を仕事にしていただけです。
参考資料:「当時の600円っていくらぐらい?」
陸海軍人月額給与(昭和18年・1943年)単位:円
陸 軍 | 月額 | 海 軍 | 月額 | ||
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大将 | 550 | 大将 | 550 | ||
中将 | 483 | 中将 | 483 | ||
少将 | 416 | 少将 | 416 | ||
大佐 | 370 | 大佐 | 345 | ||
中佐 | 310 | 中佐 | 268 | ||
少佐 | 220 | 少佐 | 194 | ||
大尉 | 155 | 大尉 | 158 | ||
中尉 | 94 | 中尉 | 94 | ||
少尉 | 70 | 少尉 | 70 | ||
准尉 | 110 | 兵曹長 | 101 | ||
曹長 | 75 | 上等兵曹 | 55 | ||
軍曹 | 30 | 一等兵曹 | 28 | ||
伍長 | 20 | 二等兵曹 | 23 | ||
兵長 | 13 | 兵長 | 16 | ||
上等兵 | 10 | 上等兵 | 13 | ||
一等兵 | 9 | 一等兵 | 11 | ||
二等兵 | 6 | 二等兵 | 6 |
当時の諸物価 1円=100銭 |
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はがき 2銭 現在は50円 |
銭湯 8銭 東京では450円 |
米(10kg) 3円36銭 4000円ぐらい |
巡査初任給 45円 東京高卒で20万円 |