京都・「二十歳の原点」めぐりという「旅程」があるのを知ってますか?
私たちの命は、日本という国と日本の子供たちのために使いたい!
なでしこりんです。 いよいよゴールデンウィークに突入しましたね! 皆様はどのようにお過ごしですか? 私はもともとは関西で生まれ育ちましたから、「行楽旅行」といえば、京都、兵庫、鳥取、島根などにも良く出かけました。大阪から東海道線で京都まで行き、そこから山陰本線に乗り換えれば、いわゆる「山陰地方」に行くことができます。兵庫県にある城之崎温泉、鳥取県にある羽合温泉、島根県にある出雲大社に行けます。園部駅では「あゆ寿司」、豊岡駅や米子駅の「かに寿司」なんかは定番ものですよね。私は山陰本線の列車に乗るたびに、ある一人の女性のことがいつも思い出されます。その人の名前は「高野悦子」さん。岩波 ホールの総支配人であった故・高野悦子さんではなく、昭和44年(1969年)、6月24日午前2時36分に「自死」された立命館大学の学生であった高野悦子さんです。
写真(http://www7b.biglobe.ne.jp/~takanoetsuko/
)
高野悦子さんの日記をもとに、お父上であった高野三郎氏が「遺稿集」という形でまとめられたのが「二十歳の原点」という本です。正しくは「にじゅっさいのげんてん」と読むらしいですが、みなさんふつうに「はたちのげんてん」と呼んでいます。私がこの本に出会ったのは通っていた高校の図書室でした。
時代背景はもちろん理解できませんでしたが、一人の女性が時代に翻弄されながらも「必死にあらがう姿」に、「青春の輝き」を強く感じました。えもいわれぬ深い読後感が残りました。漠然とですが、「京都の学校に行こう」とも思いました。もちろん、私の世代は「全学連闘争云々」の時代ははるか昔であり、大学に進学してからも、そういう運動をしている人たちは「異質な存在」でしかなく、今は彼らに「共産主義幻想に踊らされた人たちへの哀れみ」さえ感じています。 にもかかわらず、「二十歳の原点」は私の心の奥の本棚にあります。 なぜなんでしょうね? 私はこの本を読む時はかならず正座をして読みます。そうさせるものが「二十歳の原点」にはあるように思えます。
ここでは「二十歳の原点」の内容については書きません。いくらがんばって書いても、それは「私の主観」でしかありませんから。そして私はこの本を過去、若い世代に奨めたことはありません。それは、「この本は読み手を自死(自殺)にいざなう可能性がある」という言う人もいるからです。自死に関しては、不治の病で、医学的に苦痛を取り除けない場合以外は絶対に許されません。自死が人間に残された最後の特権であったとしても・・・。
今は医学が進歩しましたから、末期がんでさえ苦痛を和らげることができるといいます。でも、医学はまだ万能ではなく、現代の医学では完治させることができない病気は多々あります。外科的な療法や内服薬での治療でさえ苦痛を取り除けない「難病」は今でもたくさんあるんですね。そして、難病に苦しんでいる数多くの人たちは「最後の治療法がある」ことを皆知っています。唯一、永遠に痛みから解放される方法を・・・。
私は高野悦子さんの自死をそうとらえています。何も難病とかとは関係なく、人は「生きること自体が苦痛で仕方ない」という瞬間が過去一度や二度はあったと思います。その時、「もう方法はこれしかない」と思うか「ケセラセラ(なるようになる)」と思うかは人それぞれの個性なんでしょう。高野悦子さんの場合は、山陰本線の線路上に「その答え」を見つけてしまった。それは決して「好ましい答え」ではなかったはずですが・・・。
JR山陰本線、京都駅を出て、二条駅を西にカーブしたところにかつては「天神踏切」という名の小さな横断路がありました。今は高架になっていますから、私たちは当時の面影を知ることはできませんが、私はそこを通るたびに、「高野さん、あなたが生きていればもっとたくさんのすばらしい詩が作れたはずなのにね」とつぶやいてしまいます。今、苦界においでの人たちも、ぜひ「他の答え」を探して、選んでほしいです。人生は「ケセラセラ(なるようになる)」なんですから。 By なでしこりん
旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう
出発の日は雨がよい
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら
そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく
大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう
近代社会の臭いのする その煙を
古木よ おまえは何と感じるか
原始林の中にあるという湖をさがそう
そして岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう
原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小舟をうかべよう
衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう
小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう
そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう
(高野悦子 『二十歳の原点』より)