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天皇陛下、皇后陛下、来春4月、パラオをご訪問の予定 パラオに見る日本軍の本当の姿

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天皇陛下、皇后陛下のパラオご訪問によって友好の絆が更に強化

  私たちは「日本軍=悪」というイメージ操作に乗せられていませんか?


 なでしこりんです。 NHKの7時のニュースで「天皇陛下、皇后陛下のパラオご訪問」のことが報じられていました。今回の両陛下のご訪問の背景には、両陛下による「戦没者の慰霊をおこないたい」という強いご意向があったそうです。 ありがたいことですね。


  
   


 戦前のパラオは、1914年から1945年まで31年間、日本が国際連盟から「委任統治」という形で内政をおこないました。現在もパラオの人たちが「姓=ファミリーネーム」に日本人風の名前をつけておられるのは、「日本統治時代の恩人にあやかりたい」という思いからだそうです。


 私は台湾やパラオの人たちが、「戦前の日本統治時代」を懐かしんでくださるのは、「戦前の日本人もまた誠実であった」からだと思っています。戦前の日本を「侵略者や虐殺者」と描きたがるのは、事実より「特定の思想」を持った人々の「日本憎悪」なんでしょうね。「戦前の日本=悪」にしておかないと、日本共産党などはただの「極左のリンチ集団」だったことがばれてしまいますから。


 パラオでは1万1000名もの日本軍兵士が戦死なさいました。特筆すべきは、1944年の9月15日から始まった「ペリリュー島の戦い」では日米両軍に多くの戦死者を出しましたが、「パラオ民間人の死者は一人もなかった」という点。 私はここに、現代の日本人が知らない「日本軍人の本当の姿がある」と思っています。戦争は決して美化すべきものではありませんが、「民間人を巻き込まない」という軍人としての道徳観においては、日本軍はアメリカ軍よりはるかに高等な集団でありました。 

 「なでしこりん」でも何回かパラオの記事を書きました。特に「台風30号」がパラオを襲い、その時に呼びかけた「パラオ救援草の根募金」は多くの皆様によって情報が拡散され、4000名もの方々が義援金を送ってくださいました。ふだんはどうでもよいことを書いているブログですが、あの時だけは、「親日国家パラオ救援」に少しお役に立てたのではないかと勝手に思っています。


 天皇陛下、皇后陛下のパラオご訪問によって、日本とパラオの友好の絆がますます強固なものになることを願っています。 By なでしこりん


  
   
   パラオのレメンゲサウ大統領と安倍総理

 


We Are Friends


日本の皆様へ感謝のメッセージ  2014年 2月 1日  駐日パラオ共和国大使館

 
2013 年 11 月 7 日朝、スーパー台風ハイヤン(台風 30 号)が時速 160 マイルを超える強い風を伴ってパラオ北部を襲いました。 パラオ大統領は 10 日間の非常事態宣言を発出しました。その後の被害調査によると、この災害からの復興に必要な費用は、 1000 万米ドル近くに達するとされています。

日本の皆様は、支援に立ち上がってくださいました。4000 名を超える方々が、義捐金を大使館に寄せてくださいました。 心に響くメッセージを添えてお手紙でお送り下さった方。大使館の救援基金口座に直接ご送金下さった方。そして、路上に立って募金活動をして下さった方もいらっしゃいました。またある方は、「パラオの皆さんへ」と書いたメッセージをつけて、家族で貯めた小銭で満杯になった貯金箱を持って大使館にお越しになりました。 まさに、真の友人であります。私たちは深く篤く感謝致しております。

2014 年 1月 31日現在、ひとりひとりの義援金が積み重なって、総額 4025 万 0096 円 が在京パラオ大使館に寄せられています。レメンゲサウ大統領は、パラオ政府をあげて被災地の完全復興に向け全力を尽くすと約束致しました。そして「日本の友人たちからの心温まるメッセージと義捐金によって、我々はゴールに一歩近づいた」と付け加えました。

在京パラオ大使館を代表し、心から感謝の気持ちとともに、2014年 1月31日をもって、義援金口座を閉じることをここに発表致します。 皆さまどうもありがとうございました。

パラオ共和国特命全権大使  フランシス・マリウル・マツタロウ


  



 「日本とパラオといえばこの話」ですよね!

 太平洋戦争当時、パラオにあるペリリュー島を守備していた日本軍のうち10695名の日本兵が戦死し、202名が捕虜になりました。 アメリカ側も、、1794名が戦死し、8010名が負傷しました。 ところが、ペリリュー島にいたはずの「パラオ人の死亡者はゼロ」なんですね。 パラオ人たちは島の安全な場所に隠れていたのでしょうか? いいえ、その答えも間違っています。 事実は、戦後になって判明しました。 以下、船坂弘著『サクラサクラ ベリリュー島洞窟戦』から、その時の状況を見てみましょう。 


 遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
 「あそこでみんな死んでいったんだ・・・・」

 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。


 太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。

 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。

 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。


 やがて戦況は日本に不利となり、

 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。


 仲間達と話し合った彼は代表数人と共に

 日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
 それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
  
 「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

 

 日本人は仲間だと思っていたのに・・・・・みせかけだったのか。

 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。


 船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。

 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。


 しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。


 そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。

 先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。


 その瞬間、彼らは悟ったという。

 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・・・。  


 
『サクラサクラ  ベリリュー島洞窟戦』船坂弘著(1967) より


  
    


 こちらは「出て来いニミッツ、マッカーサー」のニミッツ提督が日本軍人に献じたとされる碑文


"Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.  Pacific Fleet Command Chief(USA) C.W.Nimitz"


 諸国から訪れる旅人たちよ  この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い   そして玉砕したかを伝えよ。  米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ


    パラオ共和国の国旗が意味するものは・・・・


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